埼玉県・諏訪社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年6月26日 埼玉県吉川市加藤の諏訪社に参拝しました。

 

由緒

創建年代は不詳。信濃国諏訪大社を下大久保の地に勧請。創建年代を示す古書では「応安2年(1369)銘の文書に「大窪郷すはの大名神」の記載」があるとされ、室町時代以前に諏訪社があっとされています。江戸期には下大久保村の鎮守として字中郷に祀られていましたが、元禄7年(1694)以降の新田開発に伴い現在の場所へ移転。神仏分離を経て、当社は明治六年四月に村社に列した。 

 

鳥居

 

拝殿

 

本殿と玉垣

 

本殿

 

右面の胴羽目:中国二十四孝 楊香
ある日のこと、楊香は父と一緒に山へ薪を取りにいきました。すると、虎が出てきて父を食べようとしました。それを見た楊香は自分の身の危険もかえりみず、急いで虎の首に両手で飛びかかりました。虎は楊香の捨て身にの行動に驚いて逃去り、父は虎に食われることなく、助かったということです。

 

背面の胴羽目:中国二十四孝 大舜
大舜の母親は早く亡くなり、義母は義弟を可愛がり、大舜に辛く当たった。大舜は自分を愛さない義母や父のために不平も言わず一生懸命に働いた。その徳によって、大舜が田を耕しに行くと、象が現れ田を耕し、鳥が来て田の草を取り、農作業を助けたという。時の皇帝である堯王は大舜の孝行に感心し、娘を娶らせ、後に皇帝の座を大舜に譲ったという。

 

左面の胴羽目:中国二十四孝 董永
幼くして母親を失った董永は、残された父親をよく世話する孝行息子であった。やがてその父親も亡くなった。しかし、貧乏で父の葬儀代を出せず、自分の身を売って葬儀代を作り、葬儀をしました。その後、董永は借金を返すために貸主の家に赴く途中、1人の婦人と出会って夫婦となりました。婦人はわずか10日の間に百疋の絹を織り上げ、夫の借金をたちまち返済してしまいました。婦人は借金を返し終えると、自分が天の織女で、董永の深い孝養ぶりに感心した天帝の命によって下界に降り、董永の借金の返却を助けるよう言われたことを告げ、天に帰っていったという。

 

脇障子は無し。
 

コメント:素晴らしい彫刻でした。