ようやくテレビを点ける、そのテレビに多少関心を持てる気力が返ってきた。

 

その中で大好きな小田和正の、聞いたことのない曲が耳にとまった。

<テレビコマーシャル>https://www.youtube.com/watch?v=fsMhRhRzedA

<NTT東日本特設サイト>http://www.ntt-east.co.jp/cm-message/

 

NTTは嫌いなんだけど(これはまたどこかで)、イチローも野球選手として大好きだ。

このコマーシャルも「主役とは」というテーマで語られている。

チームのためにどこまで犠牲になれるか。

イチローも年齢的なこともあって、今は地味な存在になっているけれど、元々十分に主役になれる力はあると思うけれど。

 

12月。川野航さんのワンマンLIVEの応援に京都へ出かけた。

けれど、ホントは気力はどん底だった。

早朝の京都駅で途方に暮れた。「夕方のLIVEまで何をしよう」

今までなら行きたいところが山ほどあって精力的に動いただろう。けれど、一歩も動きたいとは思わなかった。京都には着いたけれど、とっとと帰りたいくらいだった。

 

川野さんには会いたい。せっかく来たんだ。1カ所だけでもいいから行ってみよう。

とっさに思いついたのが鈴虫村と呼ばれる華厳寺だった。地味な発想だ(笑)。

法話が面白くて有名な寺だ。なんか、法話が聞きたかった。心が求めていたんだと思う。

相変わらず面白くて、けれども深い話だった。

失礼だけれど、どうせ暇だから、と30分程度で入れ替わるところを、平日で空いていたことをいいことに3回拝聴した。

 

いくつか胸に残ることがあった。そのひとつが「主人公」の話だった。

「人は誰でも主人公。けれどよく考えてみて欲しい。世の中が主人公だらけだったらどうする?みんながオレが、オレが、ってやっていたら、舞台なんて成立しない。脇役も大事だし、ときには脇役に徹することも大事。けれども、脇役に徹していても、求められている存在なんだから、一見地味に見えても、立派な主人公だ」

話の内容が違っていたらごめんなさいだけど、ボクにはそんな趣旨で心に残っている。

 

本当はエースで、あるいは4番バッターとして主軸で活躍したい。そのために人の何倍でも努力することは厭わない。それはそれで美しいこと。

けれどもどうしても届かない、敵わないことだってある。

じゃ、そこで腐ってやめてしまうのか。

野球って9人でやるものだ。例えとんでもなく素晴らしいエースがいたとしても、たったひとりでマウンドに立っても、ボテボテのゴロが飛んだとしても、マウンドから取りに行けない。どうやって考えてもひとりでなんてできっこない。9人いて、チームになって初めて成立する。

ライパチ、なんて言葉がある。下手くそな奴は外野の隅の、あまり影響のない打順にいろ。そんなことを揶揄した言葉だと思っている。少年時代のボクがそうだった。

けれど、そのライパチですら、ポジションに付くまでの努力が必要だし、8番バッターがつながなければ、打順は上位に回らず、チャンスを作ることができない。

どうしても目立つ選手に目が行くけれど、彼だって立派な主人公だ。

 

どうせなら脚光を浴びる存在でいたい。けれど、イチローのように、どんな役回りでも器用にこなす存在はやっぱり憧れだ。

 

ボクは、当時は悲劇の主人公でいたかった。それは今も残っているけれど、脇役に徹することだってときには必要。だって、脇役がいなければ主役が引き立たないんだもの。

 

ようやく脇役に徹してみよう、という気持ちが起こってきた。

けれど、それに腐ることはない。立派な送りバントを決めてみよう。難しい捕球をこともなげに捌く存在になってみよう。そうなるための努力を惜しまずやってみよう。

 

役割は変わっても、光る存在でいたい。いや、光らなくても、いてくれてよかった、と思ってくれるような存在でいたい。球拾いから再起を目指そう、と思っている。かっこ悪くても。そこから認めてもらえることが必ずあると信じて。