悩み続けましたね。
もう終わりにしよう、って何度も思っているけれど、きっとまだまだ悩み続けると思う。
部屋の片付けものをしているときに、高校を出て社会人になるときに書いた、就職先に提出面接カードが出てきた。その汚い字に(笑)一気に高校時代へタイムスリップした。
あ、字は今も汚いですよ。それにくせ字に磨きがかかっている、という。
その面接カードに書かれていたこと。
「好きな教科…国語。理由…解釈によって答えがひとつにならないから」
ウソだな(笑)。圧倒的に割り切れる、答えがひとつしか出ないような、しかも理詰めで考えることの方が好きだな。もっとも、数学は苦手だったけど。
悩み続けている間、本にかなり頼った。
何を悩んでいたか。どうしてこんなに腹立たしいんだろう、ってこと。
あと4回、この感情コントロール、正確には「感情調節困難」のために東京へ通う予定だけれど、本を何十冊読んでも分からなくて、それでも周囲に迷惑をかけないために、そして自分自身の心の健康のために、やっぱり答えを求めて1年間通い続けた。
けれども、完全な答えが見つからない。本当はすっきりするくらいの答えが欲しいけれど。
そんな中で、傾倒した方がいた。精神科医の水島広子さんだ。
この方、どれぐらい本を出しているんだろう。けれども相当量出ているので、お医者さんとして活動する時間があるんですか?と余計な質問をしたいくらい。けれども、答えは書いてないけれど、ヒントはたくさんあった。
その中でも「役割期待のズレ」という言葉を聞いたときには鮮烈だった。今も正確に理解できているとは思えないけれど。
要は、人は相手がいるとき、その相手に対して何らかの期待を持っている。その期待に応えてもらえないことで怒りにつながるんだ、と。
誤解のないように補足しておきたいけれど、何かあった→即、怒り、ではないことは、東京での勉強でも学んだし、実感もしている。怒りの前には必ず他の感情が一瞬湧いている。ボクの場合は「悲しみ」だった。「あー、理解してもらえてない」、言い換えれば「期待してたんだけどな」からくる失望に似た悲しみ。
感情が解釈で増強されて、その感情が衝動になり、行動に変わる。
悲しい→この人には理解されてない→怒る→文句を言いたくなる→文句を言う、というサイクル。感情は生きていく上で必要だから、その感情以外の何かが置き換われば、行動も結果も変わる。それは十分に理解できる。けれど、この置き換えを瞬時にすることがとても難しい。
特に身内に対しては甘えという気づかない前提があるからコントロールはなおさら難しい、らしい。
じゃあ相手に期待なんてしなけりゃいいじゃん、と思ってもそれも極端な話。
結局は0か100か、黒か白か、という考え方がボクはある。
最近、いろんなところで「スペクトラム」という考え方を耳にするようになった。
虹は7色、ってよく言われるけれど、じゃ、その色が変わるところは突然線を引いたように変わるわけじゃない。色の変わり目はだんだんとある色からある色へ変わっていく。曖昧だ。
その、「ここから〇〇色」っていう変わり目をみるのではなく、だいたいこんな感じ、という捉え方を指しているんだと思う。この曖昧さがときには困ることもあるけれど、だいたいでいいじゃん、けれど、そういう傾向はあるよね、という説明には使いやすい考え方だ。
分かっているけれど、それが苦手。
オセロのように白か黒か、デジタルのように電気が点いているか消えているか。そういう発想をしがちなのがボクの弱さだと思う。もちろん、そういう考え方をするのはときと場合によるけれど。…あ、けっこうボクも曖昧じゃん(笑)。
相手に期待しなければ失望しないけれど、やっぱりできると信じたいし、割り切りすぎて一切期待を持たないことが精神衛生上必ずしもいいことではないと思っている。もちろん、水島先生が示唆する話の中にもそんなことはひと言も書いていない。
ひとつだけ、はっきりと分かってきたことがある。休養だ。
ハイ次!と、ずっと走り続けてきた。ろくに休日のない生活ばかり。そりゃだんだん気持ちに余裕がなくなってきて怒りっぽくもなるわな。
ここから先は早足で歩くのをやめて、景色を楽しみながらゆっくり歩いてみようと思う。



