夕べ、離婚を専門とする弁護士のドラマを観て寂しさの追体験をし(笑)、今朝はfacebookでお母さんの声を読んで、複雑な思いの朝を迎えております。
まだ娘たちが生まれて間もない頃、いや、生まれる前だったかな、同僚に『子はかすがいじゃないよ、「子は火種」だよ』と言われたことがありました。そのときは「えー?」って。だって、その人をみていて、子煩悩で、あぁ幸せそうだな、楽しそうだな、って思っていただけに驚きでした。
…確かに、子どもさんを職場に連れてきたときに、あまりの元気っぷりに、追いかけ回してこっちがケガをしたこともあったっけ(笑)。
家事男(かじだん)とかイクメンという言葉がもてはやされました。
けれど、定義にこだわるわけじゃないけれど、どの程度すればそう呼ばれるのか不思議にも思っていました。
これは男目線だけれど、育休をとっているお母さんは確かに大変。けれど、仕事はフルにやります、自分が帰宅したら、あとは家事も育児もボクがやります、がイクメンだったとしたら、ボクはイクメンではなかったし、多分もっとあっさり倒れていたと思います。
娘が小学生のとき、娘の担任の先生がイクメンとしてテレビで紹介されたことがありました。すげぇな、と思いつつ、こんなこと、仕事のリズムが同じじゃないとできないよな、と言い訳に近い気持ちで見ていたことを思い出します。
中学生になってから、高校生になってから、不安定になる子どもたちに強く関心を持って、勉強に明け暮れた時期がありました。けれど、学べば学ぶほど、子育ての時期が遡っていって、生まれて間もない頃の接し方まで振り返ることになりました。
ここで大論文を展開するつもりはないけれど、結論はひとつ。
お父さんは、お母さんに勝てない。
男は産むこともできないし、母乳を与えることもできない。中には興味半分で、お父さんが自分の父を吸わせたなんて話も聞いたけれど、ボクに言わせればもってのほかです。
もちろん、生まれてすぐお母さんを失うこともある。だからお父さんは子育てができませんという意味ではありません。けれど、父に、母に求めていることが違って、それを正確に子どもに伝えることは本当に難しいと改めて思います。
なんでもそうだけれど、子育ては問題が起きたときに擦り合わせをするのではなくて、どれだけ夫婦でコミュニケーションがとれているかが大きいですよね。子どもの前で「あんたやってよ!」なんてやっていれば、子どもは言葉が分からなくても意識の中に刷り込まれていく。それがいい影響を与える訳がない。それにコミュニケーションがとれていなければ、お互いに忙しいんだから、同僚が言うとおり、イライラが高じて「子は火種」にすらなりかねません。もちろん、子どもに罪はないのに。
あんまり誤解したまま、単純に言ってしまうと、研究され、対応されている先生方に怒られてしまうけれど、最近「愛着障がい」が話題になっています。けれど誤解を恐れずに言えば、ボクの解釈は「片思い」と「安心の不足」なんだと思っています。
私はこうしてあげたい。けれど、子どもが欲しいと思っていることと違う、という側面。
しっかり抱きしめてあげて、離してあげる。けれど「いつ戻ってきてもいいんだよ」という安心感を持って、子どもが冒険に出ること。
これは母親じゃなくても、父親でも、学校の先生でもできることです。けれど、時代が忙しすぎるのか、子どもにとっては十分に与えられないで大人になっていくことが多いようです。
今は高校生になった娘が講演をする機会で言っていました。
「私は(大丈夫だよって)抱きしめて欲しかった。だから、皆さんも抱きしめてあげてください」
そのとおりだと思います。どんな上手な言葉よりも、抱きしめて、安心させてあげること以上の愛情表現はありません。
積み重ねも大事だけれど、肝心な所で抱きしめる。「愛してるよー」って。「大丈夫だよー」って。けれど、ボクが「お母さんには敵わない」と思う理由のひとつに、大きくなった娘を、男親が抱きしめるわけにはいかない、という現実があるから。
けれど、その子に自分はなれないけれど、それが今は伝わらなくても、いつも思っていて、柔らかな視線で見守る。まるで、片思いのあの子を見るように。それでいいんだと思う。
世の中には友だちのような家族もいます。それはそれで羨ましい。けれど、見た目だけで、媚びて終わっていなければいいな、と思います。
それは自分が叶わなかったひがみだと思うけれど。
カミングアウトしますが、ボクが教員になって1年目の話です。
職員会の最中、事務室の先生が慌てて飛び込んできました。で、「先生、ご両親が来ています!」即座に職員会は中断。慌てて駆け下りると、父がニコニコして「よう、元気か?近くへ来たからちょっと顔出してみた」(笑)。
もう、大激怒ですよ。その後職員会に戻るときの気まずさ(笑)。あの一件は今でも勘弁してもらいたいと思っているけれど、まさに「親の片思い」を感じる機会でした。
その父も去年亡くなった。思ってくれていたことは痛いほど分かりました。
けれど、もっと抱きしめてもらっておけば、そして、愛してくれてありがとうって伝えておけば。
それは後悔しても取り返せないけれど。





