うまく言葉に出来るか分からないのですが、とりとめのない気付きを。




私は幼稚園の頃、アニメで『赤毛のアン』を見るのがだいすきで。




とくに、あのおしゃべりで空想化で感情の揺れの大きな彼女が子どもの頃からすきだった。





赤毛にそばかすがたくさんあるのも大好き。






赤毛のアンのおやつのシールをたくさん集めていました。





彼女の物語は第1次世界大戦が始まる前から書かれた物語で、いまテレビでアニメが放送されていて、いい機会だから図書館で同じ翻訳をされている『赤毛のアン』シリーズを借りて、今週やっとさいごのアンの末娘のリラの物語を読み終わったのです。





わたしも子どもの頃から、空想家で絵ばかり書いて、その絵の物語の中で遊ぶのがすきな女の子でした。




赤毛のアンは、きちんと養育されてこなかった孤児の女の子。

痩せていて色の白い子ども。



もらわれた先で赤ちゃんの世話や家事をさせられ、労働力として行き先を転々とする。





その子がきちんとした愛情のある大人のいる、グリーンゲイブルズに来て、お友達の中で成長し、また勉学にもはげむ。




当時としては珍しく、女の子で大学に進学し、25歳で結婚します。






私がなぜ、赤毛のアンがすきだったのか。


私の中にも『赤毛のアン』がずっといたからだと、気付きました。



空想家でいろんなことをしでかす彼女は、今でいう特性のある女の子。



昔から色んな国で大切にされている物語ですから、きっと沢山の似通った女の子たちがこの物語にシンパシーを感じてきたんだと思います。






わたしのかわいいぽのちゃんも、『赤毛のアン』をもつ女の子。




気持ちの揺れが大きくて、鬼ごっこでタッチされると泣いてしまいます。





 ぽのちゃんは、知的のない自閉傾向にあります。

(文字にすると、ズーンとくる)




赤ちゃんの頃から、彼女の面倒をみるのは大変でした。






買い物も彼女を連れていくと買い物に集中出来ないので、連れていくのが億劫で。



最近やっと、一緒に買い物も楽しくできる、という感じなのです。






それでも、自分の子ども2人ともかわいいのですが、発達に課題のある、手のかかるぽのちゃんに、わたしはいつもメロメロなのです。




ほがらかで、すぐに泣いてしまうんだけど、子どもらしい子どもに育ってきています。







アニメの赤毛のアンを見ながら、私は私の小さな赤毛のアンを育てているのだ。

だから、こんなにもこの物語がこころにジーンとくるんだろう。




そんな風に思ったのです。