主人の母は去年の夏に膵臓がんで亡くなりました。



主人の父は主人が中学生のときに大腸がんで亡くなり、次男だったこともあったのか骨壷と位牌は主人の実家にありました。




主人の父方のお墓は親族が去年墓じまいしました。





なので、主人の母はそろそろ1周忌。

永代供養に入るんじゃない?と主人。






今日、テレビを見ていたら木梨憲武の実家のお墓参りを番組で拝見しました。



わたしの実家は墓石屋をしています。




よく手入れされたいい墓だねぇ。

とわたしが言うと、主人がこれはいいお墓だね。と。(高そうだね、の意味)





よく手入れされたお墓は、きちんと洗ってもらっていて周囲のお墓と調和したたたづまいに、お花かサカキかシキビが供えられています。


線香入れのところは古いやつはきれいに片付けられていて、かこいの中の雑草も抜かれています。


それがわたしが子どもの頃から見てきた父の仕事なのです。




お墓の石、ひとつ母とわたしでタイミングを合わさせてよいしょと横にするだけで、もう一苦労。


ひとつ間違って足に落としたら、もう足は潰れてしまいます。




石の文字を掘るのは父の仕事。

粉塵マスクにゴーグル、耳栓をしても、父は耳が遠くひどい喘息になりました。


それも仕事がそうだから仕方のないこと、と母は言います。




わたしは、石に掘る文字を土台に下書きするゴムばんをしっかりと石に張り付くように、ハンマーでバンバンと叩きます。


それでその後に文字を写しがみをなぞってゴムばんにうつし、それをナイフで切り取っていく。


ナイフで切り取るのは主に祖母の仕事でした。


指に力をこめるので、ひどい節のある指。



今なら、あれはへバーデン結節だったと分かるのですが、これも仕事からくるもの。

仕方のないことです。









主人のいいお墓だね、の言葉になんだかカチンときました。




(いやいやいや、あなた墓ないやん。墓じまいしたやん。その上、そろそろ1周忌なのに、永代供養の話、兄と相談してないやん。実家の売却がんばって、兄は開業の準備中。お墓をたてるにはお金がかかる。たてろとも思わない。主人の実家の親族たちが墓じまいしたのも分かる。そういう時代。ただ、主人にいいお墓って、、、、え、わからんやろ。

お盆も何するって、おいっこのプール遊び。義理の姉は当直いれるから帰ってこないやん。いい墓も何も主人の家は盆にお墓参りも行かへん。行ったとこ見たことない。)







それで、うちは次男やけど、墓じまいしてしまったから、死んだ後骨壷しまう場所ないで。

つまり、永代供養ということ?




さあ、と主人。







手を合わして、死んだ人と心の中で語りかける場所がある。って救いになると思うんだけど、、、、




墓は死んだ人のためでない。


残された人のためにあるもの。



手を合わして、心の中で思うことしか出来ないことあるよ。








結婚当初、主人の父の骨壷が主人の実家にあることをわたしは内心、ゾッとしている。


価値観の違いかな。




父にその事を話したら、お墓をたてなかったのにも理由があるんやろ。

優先順位が1番低いのか。まぁ、母ひとりで兄を医大にいれるには墓たててられへんやろ。




そのぐらいせんと無理やろ。


それに、墓をたてる土地も今は難しい。

土地探しが大変やで。と、父。







実家の墓石屋は弟が継いだ。


別にとついださきのお墓の話。口挟む必要もなし。





石に興味もない、墓に参る習慣もないのに、主人に墓について言って欲しくない。







人が亡くなったあと、お墓の相談に来る人はみんな泣いている。


泣いている人の話を聞くのも父の仕事だった。



人が死んだら、もらえるのがおれらの仕事や。

心してやらなあかん。


紙は100年しかもたない。

でも、石は1000年もつ。



そこにずっといてくれる。

そこにこの仕事の価値がある。

ずっと先の子どもらがその墓を拝むことになる。


その時のためのものや。







主人の母の1周忌がそろそろだけど、、、嫁は口を挟まないでいる方がいいだろう。