さて、続きを始めよう。


<トーンクラスター(音塊)>
前回紹介した12音技法は作曲する際の全体の骨組みとしての技法であったが、このトーンクラスターは曲の中に一要素として取り入れられる技法である。
短くクラスターと呼ばれることもある。

日本語の「音塊」という言葉が示す通り、これは隣り合う沢山の音を同時に鳴らして音の塊のような独特の音色を出す技法である。従って、これを和音と捉えるよりはこういう音色として捉えるほうが適切であろう。

小学校(別に小学校に限定しなくてもいいが)の音楽の授業の時、やんちゃな男子がピアノの所に集まって好き勝手に掌でバンバンと鍵盤を叩く、というような光景に接したことがないだろうか。あれぞクラスターの鑑である。

クラスターを効果的に用いた曲として参考に挙げておきたいのが、クシシュトフ・ペンデレツキという作曲家の『広島の犠牲者に捧げる哀歌』だ。弦楽合奏によるこの曲は、微分音(後に記述)によるクラスターや弦楽器の特殊奏法を用いて非常に衝撃的な音世界を創り上げている。アイデアが音楽的結実を見せた、現代音楽において稀有な例といってよいのではないだろうか。


<微分音>
さっき12音技法の項で書いたが、平均律で考えると音は基本的に12個しかない。そして最も近い関係にある音はドとド♯のような半音である。微分音は、さらにその音程関係を細分化したものである。よって、音が固定されてしまっているピアノのような楽器では微分音は使えず、管楽器や弦楽器といった柔軟に音程をシフトできる楽器により使われる。

主な使われ方は、微分音を重ねることにより極度な不協和音を作り出すことである。例えば、前述のクラスターを微分音で作ることで、より衝撃的な音色を作ることが可能になる。


<偶然性>
文字通り「偶然に任せちゃおうぜ」という作曲技法である。占いで作曲してみたり、サイコロを振って音を決めてみたり、適当にインクを垂らして音符にしてみたりといった、運を天に任せたとってもロックなアイデアである。代表的な作曲家はジョン・ケージ。言わずと知れた『4分33秒』の作者である。彼は「考えたもの勝ちだ」というような現代音楽の風潮を作り出した第一人者かも知れない。彼の作品を聴いて、「こんなのが作曲と言えるなら俺にだってできる」と多くの人は考えるが、それらをケージはこう一掃する。「確かにできるでしょう。でもどうせやらないでしょ?」と。なるほど素敵だ。どれだけ口でいってもそれを実行してみせるだけの気概は一般人にはない。


<ミニマリズム>
さて、ここら辺で最後にしておこう。最後に紹介するのはミニマル音楽である。これは簡単に言えば短いフレーズをひたすら繰り返して作られていく音楽である。そんなのつまらないじゃないかと思うかもしれないが、この反復のなかで少しずつ音楽が変化してゆくのがポイントである。海をずっと眺めていて飽きないのは、打ち寄せる波が全部同じなようでいてそうじゃない、少しずつ変化しているからだ。ミニマル音楽にはその種の心地よさがある。

ミニマル音楽に関してはライヒ、ライリー、グラスという3人の作曲家の名前を挙げておけばほぼ間違いないだろう。調性的な作品がほとんどなのでかなり聴きやすいと思われる。このミニマル音楽というアイデアは、その発想のシンプルさからも、クラシックという垣根を超え他ジャンルの音楽にとても歓迎された。エレクトロニック系の音楽を聴いていると、しばしばミニマルという言葉に出くわすだろう。



もはやブログが日記ではなくただのメモ帳と化している気はするが、
それはそれで一つの使い方ではないかと思う。
なので私は書きたいときに書きたいことを書きつける。


今回はクラシックにおける現代音楽の中で用いられている技法をいくつか取り上げてみたいと思う。

現代音楽というのは多くの人の耳にとって非常に難解に聞こえる。現代音楽を音楽として楽しめる人は恐らくほんの一握りである。では現代音楽を音楽として楽しめない大部分の人が現代音楽に向き合うためにはどうしたらよいのか。

一つ言えることは、それらに私たちが期待するような「美」を見出そうとしてはいけないということである。何故なら、20世紀における芸術全体の前衛運動とは、美しいものを創造するというそれまでの芸術の常識を破壊する形で始まったからだ。従って、そこに伝統的な意味での「美」を探そうとしても、なかなか理解できないのは当然であろう。

私たちが現代の芸術に見出さなければならないのは、そこに込められた思想的なメッセージであり、新しいアイデアとしての価値である。現代音楽の作品を鑑賞するときに、「この作曲家はこの曲でこういうメッセージを伝えたかったのだな」とか、「それまでの常識はこうだけど、彼はそれに反したこういうアイデアを用いてみたかったのだな」と考えながら聴いてみると多少は面白く感じられるのではないか。

しかし先ほどから述べているように、それらはただのアイデア勝負になってしまい、多くの場合本来的な音楽の価値である「美」につながることはなかった。結果、そのような一人相撲を延々と続ける現代音楽は聴衆に呆れられ、衰退していったのである。



前置きが長くなってしまったが、現代音楽の分野で生み出された様々な技法は、それらの「新しいアイデア」を理解する上で重要な指針であると思う。
まあ、こんな変なことやってるのかと思って気楽に楽しんで頂ければ光栄である。

<12音技法>
テクニカルな意味で現代音楽への道を切り開いた作曲家として、シェーンベルクの名は挙げておくべきだろう。現代音楽の特徴として、無調ということがよく取り沙汰される。ハ長調やホ短調といった調性システムの破壊である。しかし、音楽的な骨組みとしてとても強力であった調性を取り除いてしまうことは、かなり致命的であった。理由やバックボーンもなく新しい試みをしたところでそれはただのおふざけとしかとられない。例えば、「人間は昔空を飛んでいたんだ」という主張をしたとする。「根拠は?」と聞かれて「ないよ」と言っても勝手に言ってろで終わりである。同様に、「ここにこの音を配置した理由は?」と聞かれて「ないよ」と言っても勝手にやってろで終わりである。

そこでシェーンベルクは考えた。なんとかシステマティックに無調の音楽を組み立てる方法はないかと。その結果生み出されたのが12音技法である。ピアノの鍵盤を数えて貰えばわかるが、ドからシまで、白鍵と黒鍵を含めて音は12個ある。まずこれら12個の音を好きなように並べ、音列(セリー)というものを作る。あとはこの音列に基づいて(リズムを変えて並べてみたり、音列を逆から読んでみたり)曲を作っていくというのが12音技法である。この技法の特徴は、12音全てをまんべんなく使えるという点にある。

この12音技法はどんどんエスカレートし、ついには音の強弱や音の長さといった情報までもをパラメータ化して並べるという「トータル・セリエリズム(総音列技法)」にまで行き着く。オリヴィエ・メシアンの『音価と強度のモード』という作品を聴いてもらえばどういうものか大体わかるだろう。ただしこれに音楽的な価値を認められたらあなたは相当なものだ。

これは現代音楽全体に言えることだが、これらのアイデアは往々にして根拠の部分が肥大しすぎて、しまいには目的そのものが失われてしまう場合がほとんどである。大学に合格するために勉強するとして、勉強に勉強を重ね、勉強のための勉強をし、「あれ、なんのために勉強してるんだっけ」という状態になるのと似ている。

自分の予想以上に文章が長くなり過ぎたので一旦終了して次項に分けることにする。まだ一つしか技法書いてないんだけど・・・。
あけましておめでとうございます。
といっても既に一月は駿馬の如く走り去って二月も半ば。

2011年最初の更新となります。

人間、何かのきっかけでふと懐古的になる瞬間というのがあるわけでして。
今回はちょっと昔の話をば一つ。


私が音楽を作ることに興味をもったきっかけは、とある一つのサイトでした。
今は無き「FlontDoor」というサイトです。(更新がストップしてからしばらくして避難所が作られましたが、そこも近々閉鎖してしまうよう)

このサイトでは、MIDIFlickというフリーシーケンサソフトが配布されており、それを使った自作曲を自由に公開することができました。

私がどういう経緯でそこに辿りついたのかは記憶にありませんが、そこで公開されている色々な楽曲に小学生の私は憧れを抱きつつ聴き入っていました。自分もこんな風に曲が作れたら、と。

しかし当時の私は音楽の素養などほとんど無く、作曲など遥か雲の上、というレベルでした。何度かソフトをいじってはみたものの、結局それらしい曲一つ作れることなく時間が過ぎてゆきました。

次第に私は音楽を聴くことに傾倒してゆき、人格形成に多大な影響を及ぼすであろう中学生の時期には現代音楽を聴き漁っていました。お先真っ暗です。というのは半分冗談で(ということは半分本当なのだけれど)、普通のクラシックも聴いてました。

私が再び作曲へと目を向けるのは高校2年になってからでした。演奏者としての自分に絶望感を抱いていた私は、「それなら作曲すればいいじゃない」と、少しづつ曲作りのための勉強をし始めました。しかし楽譜を手書きするというアナログな方法は、飽きっぽさと根性の無さが同居する私にはかなり向いていませんでした。なかなか曲が書けない。苦労して書き上げても、私の乏しい演奏力では楽譜を音に出来ない。モチベーションは下がる一方です。

そこで目にとまったのがMIDIFlick。「昔よりは多少知識ついたし、なんか作ってみるかー」と思い立ったのが始まりでした。いつも通り途中で投げ出すかと思いきや、私はどんどん作業にのめりこんでいきました。先ほども述べたように、自分の書いたものが音にできないというのは、想像以上に辛いものがあります。だからこそ、打ち込んだそばからすぐに音が確認できるのは私にとって非常に嬉しいことでした。


そうして一曲を作り終えた私は、作曲することの楽しさをようやくそこで認識することができたのです。安っぽいMIDI音源と稚拙なアレンジ。けれどそれはある種の感動を持って私の耳に届きました。




あれ、なんでこんな歯の浮くような文章書いてるんだろう...。
何故こんな話をしたかというと、そのMIDI作品第一号を今の環境でアレンジし直そうかなと思い立ったからです。
何はともあれ、まだまだ作曲初心者なのでもっといい曲、いいオーケストレーションを目指したいですね。