おばあちゃん(姑)の夢


「おばあちゃん、その紫のワンピースええね、似合ってるよ。」
「あれ?おばあちゃん、元気になったんやね~!」

嬉しくて思わず姑に抱きついた。
姑はもとのふくよかな体になっていた。

 

...夢だった。

 

 

 

  最高に穏やかな最期


その日の午後、私の疲れは限界を超えていたように思う。

睡眠不足でちょっとフラフラだった。

 

姑はその時、すでに何も食べたり飲んだりできなくなっていたが、
訪問看護師さんの説明されるような状態にはまだなっていなかった。



「今日ではないだろう...」


痛み止めが効いてスヤスヤと眠っている姑の様子でそう思い、私は2時間足らず自分の部屋で眠った。

 

中国から帰国してきた夫に頼んで、姑のベッドの近くにいてもらった。

 

それまで姑が痛みをうったえたらすぐに対処できるよう、いつもそばにいた。介護ベッドの横に布団を敷いて寝ていた。

 

 

久しぶりに熟睡でき、2階から姑がいるベッドへと戻った。
さっきと変わらない、うっすら笑っているような表情で姑は眠っている。
手を握ってみる、温かい。


姑の顔を覗き込むと...???

 

「パパ!おばあちゃん息してないんやない!?」


近くにいた夫も気がつかないほど、姑は眠りながら静かに逝っていた。

 

 

 

 

  おばあちゃんの口癖

 

「たおたお、はよねーよ」(早く寝なさいよ)

元気な頃から、いつも私を気遣って言っていた姑の口癖。
介護ベッドの上からでも毎日言っていた。

亡くなるその瞬間、そばにいることはできなかったが、姑は最後まで気遣って、私を寝かせてくれたのかもしれない。

 

そう思うことにした。



 

 

  「覚悟する」ということ

 

半年前の姑は、歩行器を使って一人でトイレまで行けた。


その後、私が車椅子を押してトイレの中まで連れて行き、便器にすわらせるようになった。

 

そして、抱きかかえるようにして、介護ベッド横のポータブルトイレに座らせるようになっていった。

最終的はベッドの上で寝返りもうてなくなった。まんまるに太った体が骨だけになっていった。けれども「おばあちゃん痩せたね」とは、絶対に言葉にしたくなかった。

 

 

色々考えるとつらい。


「痛みを抑える」
「便を体にためない」


私がやるべきことは、とにかくこの2つだけだった。

 


 

  姑の前では明るく振舞った

 

私がテレビから流れる音楽にあわせてお尻を振ると、ベッドの姑は声を出して笑っていた。

「おばあちゃん大好き!」と言いながら抱きついたりもした。


キツく抱きしめ過ぎて、時折り「痛い、重たい!」と言われた。それでも姑の顔は笑っていた。

 

 

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2022年11月のおばあちゃんとスッピンの私(^_^;)



最後は私をジ~っと見つめるだけになったが、姑の表情は苦しそうではなかった。

振りしぼるような声で、数回「ありがとう」「幸せや」と言ってくれた。

 

 

 

 

  支えがあったからこそ

 

病状は日に日に変化していった。

痛み止めは、まず一般の頭痛薬程度の錠剤から処方された。
痛みの度合いが変わると、薬もそれに合わせて変わっていく。

 

錠剤、飲み薬、坐薬…
効くまでの時間、効き方、効いている時間の長さ、副作用、全てが違う。更に副作用に伴う薬が加わる。

 

こうなってくると、医師や看護師さんに聞きまくるしかない。

 

変化が見られるたびに、24時間対応の訪問看護ステーションに電話した。

(週2回の訪問以外に) 夜中でも早朝でも、何かあるたびに看護師さんが来てくれた。医師に相談してもらい、薬を変えるなどしてもらった。

 

最終的に2種類の医療麻薬で痛みを止めた。残念ながら癌の進行はとめられないが、なんとしても痛みを感じないようにと願いながら対処した。

 

 

 

ケアマネジャーさんのアドバイスにより、

トイレ周り、お風呂周り、ベッド等等、あらゆる箇所に介護用品を取り付けた。

 

注文の翌朝、すぐにレンタル介護ショップの人が介護用品を持って来て設置してくれた。

 

 

私が疲れていると、すぐに食べられるおかずを買って来てくれる夫がいた。


おばあちゃんを抱きかかえる際には息子も手伝ってくれた。

 

在宅での緩和ケアは、私一人では到底できるものではないとつくづく感じた。

 

 

 

 

  愚痴がなかったおばあちゃん

 

亡くなっていくのだから、姑はつらかったはずだ。心も体も。


薬で痛みを止められたとしても、他のしんどさがあったかと思う。不安もあったのではないかな。

 

 

私:「おばあちゃん、今痛みある?」
姑:「ない」

私:「おばあちゃん、何考えてるの?」
姑:「な〜んにも考えてへん。『むぅ(無)や』頭の中は空っぽ」

 

余命宣告されていても、いつも上記のように答えていた姑。

スゴイ人だったと思う。

 

そんな姑だったからこそ、自宅で看ようと自然に思えた。

 

 

 

 

  自宅で看取るのが最善の方法とは限らない


看取りについては、
生活の場所、環境、家族や親戚の関係性、お金のこと等等、色んな角度から考える必要がある。病院や施設で最後を迎えるほうがいい場合もあると思う。

 

家で姑を看取ったからといって、それが素晴らしいとか、良いとか、そんなふうに私自身は全く思っていない。


それができる環境にいて、しかも「したかったからやった」というだけだ。

 

自分のしたいこと、今正にやっていることを犠牲にしないほうがいい場合だってあると思う。

 

 

 

何にでも言えることだが、
「人がどう思うか?」ではなくて、
「自分がどうしたいか」だと思う。

 

 

 

  心に生き続ける

 

おばあちゃんが使っていた物を見れば、涙が自然に出てしまう。


思い出しては「もう会えないんや…」となり、また泣いてしまっている。

 

自分の自然な気持ちに無理に抗わないでいよう。これはもう、仕方ない...

 

 

 
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2022年8月末
余命宣告の約1か月前
まだ元気だった頃
1泊旅行の夕食でシャンパンを2杯

 

 

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2023年正月
ほとんど食べられなかったけど、
おせちを楽しんでくれました。

 

 

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2023年3月末
桜を観ることができました。

 

 

 

  燃え尽き症候群


「たおたおさん、『燃え尽き症候群』にならないでくださいね!」

 

レンタル介護用品ショップのお兄さんに言われた。

 

ありがとうございます。でも私はなりません。

 

復活しますので、よろしくお願いいたします(^^)

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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