(迎えることは無理かと思われた)姑の誕生日の早朝、お腹が痛むというので、飲み薬を梅ジュースに入れて飲ませた。
医師の指示のもと、既に2種類の医療麻薬を使用している。

 

痛みが治まってきた姑は、布団をかけ直している私の顔を見つめて静かに言った。



「あんたなぁ、私が死んだら、この布団を見ても、泣くやろな...」

 

...胸がつまった。
想像しただけでも打ちひしがれるような思いになる。

 

 

毎日が緊張だ。

介護ベッドの横に布団を敷いて寝るようになった。

 

 

毎日状態が一定ではなく、いつ急変してもおかしくない姑に対して、

「あの時こうしていれば...」という後悔をしたくないから。

 

 

自分の体と心も大切にしなければならないのはわかっている。
わかってはいるが、姑に苦しい思いをさせたくない気持ちのほうが勝っている。


こんなことを書くと偽善者みたいだが、不思議と自然にそう思っている。

縁の深いひとなのだと思う。

 

 

すっかり病人の姿になったとはいえ、姿を見ることができて、状態が安定している時は話もできる。亡くなってしまえば、その一切が永遠に無くなる。

 

 

「打ちひしがれたって、仕方ないじゃないか!」
自分に言い聞かせる。それも自然じゃないのか?私の今までの人生で一番長く一緒にいたひとなのだから。

 

 

考えすぎるのはやめよう。
これからまだ経験しないことが待ち構えているかもしれない。
私が得意な(?)「出たとこ勝負」で、その時その時に対処しよう。

ケアマネさん、訪問看護師さん、意外と活躍する息子、夫にも頼ろう。

 

 

 

それにしても、
「私が死んだら、この布団を見ても、泣くやろな...」と言える姑は大物だ。

 

「人に言えない悪いこともしてきたけど、たおたおは私のすべてを許してくれる、そんな人や...」と、姑がつぶやいた。

 

 

「人に言えない悪いことって?」と一瞬思ったが、聞かないでおこう。
痛みがスッカリとれて、スースーと寝息をたてている姑の顔を見て、そう決めた。