昨日、息子は「認知行動療法」というのを受けました。

臨床心理士さんに指導をしていただいています。

 

 

まず息子が記入したアンケートを基に、状態を分析していきます。

ASD(自閉症スペクトラム)とADHD(注意欠陥多動性障害)の両方の症状があるらしい息子。

彼の話の中で、知らなかった事がいくつも出てきました。

 

 

例えば面接の時に

「ドアを3回ノックする」とあります。

私なら、別に何も考えずに言われたとおりにします。

 

しかし息子の場合は

「なんで3回ノックをしなければならないのだろう?」

「3回にどんな意味があるんだろう?」と考えてしまい、結局できなくなるそうです。

 

もしそこで理由を具体的に知ることができれば、全く問題なくできるのだそうです。

「これは○○だから××するんですよ。」と説明を受ければ、

「はーい!」と素直に言われたことができるようになるらしいとか。

 

私からすれば、

「なんてめんどくさいやつぶー」と感じてしまいます。

臨床心理士さんは

「純粋、ピュアーな心の持ち主なんです。」と良い言葉で表現してくださいました。

 

 

 

他に文章を読んだり書いたりは全く問題なく、むしろ得意なのですが、

耳から入ってくる音としての言葉は整理が苦手です。

複数で話し合いになると、誰が誰に対して言っているのか分からなくなるそうです。

 

息子が「就職活動の際のディスカッションが苦しかった。」

と言っていた理由がようやくわかりました。

 

 

今まで息子に対して私は

「メモを常に携帯して、メモ取りしなさい!」といつも言ってきました。

しかし、メモをとるという事は、

まず初めに聞いた内容を頭でまとめて整理し、それを書き出さなければなりません。

音が整理できないという息子にとっては、苦しみでしかありませんでした。

 

 

他にも気づいたことがあります。

「社会に出たら、たとえ苦手な人とでもコミュニケーションをとっていかなければならない!」

と強い口調で息子に言っていた私です。

 

よくよく考えてみると、息子の心の中には

「みんなが出来ることでも自分だけができない!」

「僕はバカなんや~!」という思いが充満しています。

そんな状態で、すんなりとコミュニケーションの輪の中に入っていけるわけがないと、やっと私は気がつきました。

 

 

今までの経験で身につけたことを、息子にそのまま押しつけるのは間違っていました。

 

「私が苦労して身につけた事は絶対だ~!」という私に気がつきました。

それこそが傲(おご)りです。あたりまえが、あたりまえではありませんでした。

 

 

自閉症スペクトラムの人は、脳から出る信号が定型発達(発達障害ではない)の人よりも多く、

枝葉の事が非常に気になり、疲れやすい傾向が強いそうです。

その枝葉の細かい部分にこだわるところを、一つの才能として活かしている人も少なくないそうですウインク

 

 

私:「発達障害者とそうでない人の境界線はどこですか?」

 

臨床心理士:「色がだんだんと変化していく感じです。はい、ここです!という境目はありません。」

「症状が原因で、生活に支障があるかどうかが大きな決め手でしょうか。支障がある人にはサポートを受けるいろいろな制度があります。」

 

50年以上生きてきて、これまで全く経験していない未知の世界を垣間見た私です。

 

 

今後は、息子と共に臨床心理士さんのアドバイスをよくお聞きして、

息子に合ったやり方で、ソーシャルスキルを学んでいきます。

 

 

まずは彼が、自分自身に自信を持つことが第一歩だそうです。

 

今さら焦ってはいません。なんだか良い方向に向かっているのかな?と、意外に明るい気持ちでいます。