アルツハイマー型認知症が進んできた義母の姉、A子さんは今年84歳です。
施設での生活がもうすぐ2年になります。
今では自分が何歳なのか、どこに住んでいるのか、自分の両親や兄弟が生きているのか死んでいるのか(妹の義母以外は両親はもちろん、兄姉弟の3人とも、とっくに亡くなっています。)
しょっちゅう会っていた私のことも…
全てがわからなくなっています。
唯一妹(義母)の顔と名前だけがわかります。
今から思えば前から兆候がありました。
上の図の状態全てがA子さんにあてはまります。
75歳過ぎから
「泥棒が夜中に入ってきてお金を盗んだ!」と言っては警察を何回か呼んでいました。
「近所の人が夜中にドアを何回もノックをして嫌がらせをする!」
「玄関の電気を壊された!」「誰がやっているかはわかっているんや!」
義母と私はまさかそれが妄想とは気づかず、
「なんて物騒な所に住んでいるんやろう…。」と心配していました。
お料理が上手な人で、ある時得意の洋風の炊き込みご飯や海老のフリッターなどを作って持ってきてくれたのですが、今まで食べたことがない「変な」味がしました。
義母はハッキリしているので(マズイとは言いませんでしたが)
「あれは食べないから、もう持ってこんといてな」
「うちは主婦が二人もいるから料理は一切必要ないんや」
それを聞いてA子さんは激怒しました。
一番まいったのは、A子さんがわざわざ電車に乗って義母の古い知人に会いに行き、
「妹(義母)に300万円貸したのに返してくれない!」と訴えたことです。
他の知人にも言いふらしていました。
もちろん妄想です。
一瞬私は「あれ?おばあちゃんはA子おばちゃんに300万円も借りていたの?」
とビックリしてしまいました。
幸い訴えられた方も、周囲の方も
「A子さん、認知症なんじゃないの?」と言ってくださいました。
恥ずかしながら、それでも
「そうなのかなぁ?あんなにしっかりしていたのに…」とすぐには信じられませんでした。
間もなくA子さん宅近所の派出所から電話をいただき、やっと確信できたのです。
「家がわからないと泣いておられます。」
検査入院という形をとった後、あちこち転々と施設を変わり、
やっとの思いで「終の棲家」(ついのすみか)である現在の施設に引っ越しました。
一人で住んでいた市営住宅の一部屋は物置になっていました。
そこに2リットルのお茶のペットボトルが、ざっと数えただけでも50本はありました。
しかもホコリをかぶっていたので、ずいぶん前に買ったものです。
もし飲んでいたらお腹を壊していたでしょう。
思い出せばいろいろと兆候があったのに、
義母と私は気がつくまでに本当に時間がかかりました。