舅(3年前に他界)が「前頭側頭型認知症」だとわかったのは、発症してからもう7、8年は過ぎた頃でした。
3番目の病院でMRIを撮ってもらい、
前頭葉と側頭葉の委縮が原因の認知症だと、やっと診断が下りました。
前の二つの病院で「うつ」と診断されていて、私は何か違和感を覚えていたため、そこでようやく腑に落ちました。
「認知症」というと、その多くは「アルツハイマー型認知症」で、舅のような「前頭側頭型認知症」は、認知症患者全体のわずか7%だそうです。
記憶力は衰えておらず、初めのうちは受け答えもハッキリしています。方向感覚もしっかりしています。
ですので、周囲の方々からは「おじいさん、しっかりされているじゃないですか!」という言葉がほとんどでした。
舅は、本来はとても温厚で思いやりがあって、一緒にいてホッとする人でした。
それが全く別の人格になっていったのです。
初めは小さなことでもすぐに怒り出すようになりました。
そしてこだわりが異常に強くなっていきました。
ご飯の時間は、
朝6:30、昼12:00、晩18:00。
この時間に1分でも遅れると我慢ができずに怒り出します。ヨーグルトの紙パックを投げつけられたこともありました。
朝はまずバナナとヨーグルトを食べなければ落ち着きません。
そして理解できないのは、3食とも「シュウマイ」と「コロッケ」が絶対に食べたいのです。栄養のことを考えて別の献立にすると「シュウマイとコロッケがない!」と言って異常になりました。
衣服にもこだわりがあり、下着も靴下も服も
「これじゃないとダメ!」という物がありました。お風呂からあがっても、また同じ物を着ます。シャツは首の周りが黒くなっていました。
私は舅が風呂に入ったらすぐに下着や靴下を洗濯しました。すると、風呂からあがった舅はパニックになってしまいます。洗濯物が乾くまで他の物を着ていますが、全く落ち着きません。
「あれが着たいのに!!あれじゃないとダメや~!着替えさせてくれ~~」
何時間でも大声で訴え続けます
しかたなく、乾いたら即着替えさせます。また同じ物に。
私が後ろから舅を「羽交い絞め」にして、無理やり服を脱がして洗濯機に放り込んだこともありました。
またある時、一眼レフカメラが欲しくなった舅に私が「もうすぐお誕生日だからプレゼントするね」と言いました。
すると大変なことに!
私が買ってあげて手にするまで、舅はずーっと言い続けました。
「いつカメラ買うてくれるんや?」
夜中の2時でも、お構いなしに部屋をノックして入ってきました。
これはまだ一部で、「こだわり」は数限りなくありました。
そして気づくと、私の心身が悲鳴をあげていました……。
今から考えると、なんでもっと早く対策を考えなかったのかと、当時の自分自身が不思議です。
私自身の精神が麻痺してたのか、意地になっていたのか…、私も舅に負けないくらいに変になっていきました。
どうなっていったのか、次回お話させてください。