【セキララ教師生活③】”地獄”じゃなくて”地獄のはじまり”【わたしの教師時代】 | TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

シンガソングライター/元小学校教員(歴12年)
ヒーラー養成スクール校長/四柱推命鑑定士

起業1か月で月商7桁、2年目で年商8桁達成
1000名以上のカウンセリング、20名のヒーラー養成

どん底から大逆転!夢を叶え続ける30代のリアルを発信

うっしゃあ!

(どういうテンションw)

こっからは教師時代について語っていくよんニコニコ

 

  教師を志すきっかけ

 

わたしが教師を志すきっかけとなったのは中学生の時。

自分の心の中では

 

歌を歌って生きる!

って言うのが根底にはあったんだけど、

いかんせん家庭環境やばくて

否定ばっかりされて

心の中がぐっしゃぐしゃだったものだから

 

”現実的な職も必要だよな~”と

子どもながらにも思っていて。

 

そんなときに大好きだった中学の国語のせんせいから

 

沼倉ちゃんは勉強も運動も芸術もできちゃうから、小学校の先生にむいているよ照れ照れ照れ照れ

 

と言われたお願いラブラブ

わたしその先生大好きだったから

その言葉がまっすぐ届いて

 

”そっかあ照れ飛び出すハートラブ”ってなった

(単純w)

 

でも、実際わたし

なんかいつも

 

やんちゃ系男子のお世話係でw昇天

大体クラスで席隣になるやつ

世話が焼けるやつで

”沼倉!コイツを頼んだゼ!”っていう

先生の意図と心の声が聴こえていた昇天

 

だからよく

”うっせーぞ!ムキー”と注意したりw

”たまには勉強しろよニヤニヤ”とケツたたいたりww

そして健気に勉強おしえていた照れ

(・・・結局イイやつ)

・・・実際勉強教えるの本当に楽しいんだよね!

なんか先生の中でも話題になって

 

”沼倉!ウチのも頼む!”

と、他のクラスの男子も任されていたw

(さすがに断ったけどwww)

 

 

  最初は”教員”ではなく”講師”

 

これは前回の記事でも書いたんだけど、

音楽活動が諦めきれなかったから。

 

それでも中途半端な気持ちで教員になるって

 

子どもにも音楽にも失礼なこと

 

だと思ったから、あえて教員採用試験は受けず

”臨時的任用”である”講師”の道を選んだにっこり

 

あ、でも断っておくけど

”臨時的任用”とはいえど、任せてもらった仕事はしっかりとやったし

授業は”わかりやすい!”と結構言ってもらえたよ照れ

 

ただやっぱり”講師”だと担任をもたないので

仕事量や責任といった点ではかなり軽かったと思う花

 

なので

 

平日→小学校の先生

休日→音楽活動

 

という日々を続けていた飛び出すハート

 

そして休日だけの音楽活動でも

ファンが増えたり、音楽関係の出逢いも拡がって

めちゃくちゃ充実していたんだほんわか

 

 

・・・ところがポーン

 

  ”講師”なのに担任をもつことにポーン飛び出すハート

 

負担は少ないと言えど、

学校という環境や先生方の人間関係に溶け込むまでに

中々時間はかかって。

 

ようやくいろいろ分かってきて、

”音楽もそれなりにできているしありがたや照れ”と思っていたら

 

校内で入院する先生がポーン

そして校長先生によばれ・・・

 

 

沼倉さん!担任をやってくれないか笑い泣き

と懇願された。

 

非常に迷った。

”わたしなんかにできるんだろうか驚き

”仕事も増えるだろうし、音楽どーなる滝汗

と、不安と焦りがいっぱいだったんだけど

 

中途半端な時期に新しい担任は中々見つからない

教育委員会も先生方も困っていた。

そして何よりその先生のクラスの子たちを想った。

 

 

わたしでよければやらせてください

本当に不安でいっぱいだったのだけど、

わたしにできることで最善を尽くそうと思った。

 

いざ担任になってみると、

もつ教科もふえるし、

字授業以外にもたくさんの業務があった。

 

だけどそれ以上に

 

子どもたちと1日中密接にすごしていくこと

 

その何気ない一日の濃度の濃さに

心の充実感を覚えた。

当時の学年主任の手厚いサポートもあり

”わたしなんかにできるんだろうか”という業務も

学級経営も、驚くほど楽しくスムーズにできてしまったのだ!

 

あれ笑い泣き先生たのしいぞ笑い泣き笑い泣き笑い泣き

わたしの中の教師としての才能が小さく目醒めた経験だった。

 

 

 

  舞い込んだ音楽のチャンス

 

 

”臨時的任用”だったのでその学校は1年で終わった。

担任しつつも、音楽の道を進め

 

 

デビューをかけた投票型ライブのチャンスが舞い込んだ!

 

そのライブを3か月後に控えた状態で

次の勤務校に転勤。

その勤務形態は妊娠している先生のサポートで、

彼女が産休に入ったらわたしが担任になるというものだった。

 

前任校で担任も経験していたから両立できるだろうと思っていた。

そして産休にはいるまではわたしは授業補助だけでよかったから

たっぷりと時間があり、その間に一気に音楽活動を推し進めた。

 

・・・そして

 

 

見事投票1位となり配信デビュー決定ニコニコ

夢のような流れだった。

この日、たくさんの応援してくれた人達がたくさん駆けつけてくれた。

しかもこの投票、

 

1が3人にまで投票できちゃう

わたしの得票数は、わたしを応援に来てくれた人よりも多かった。

つまりわたしを推しじゃない人も、わたしにもたくさん投票してくれたニコニコ

 

 

”感動したよ!”

”サイコーだったよ!”

”涙が止まらない!”

 

そんなメッセージをいっぱいもらい、祝福されながらの優勝だったニコニコ飛び出すハート

 

さあ!いよいよ配信に向けてのレコーディングとPV撮影だ

そんなときにドラマはおきる・・・滝汗

 

 

  ドラマティックな担任生活

 

 

このタイミングで先生が産休に入り

わたしは新しい学校での担任になった。

 

前回の学校でも楽しくできたからきっと大丈夫!

と意気込んでいたのもつかの間!

 

 

 

授業中席につけない子が3人ポーン

 

休み時間ごとにケンカの仲裁ニコニコ

 

なぜかずっと泣き止まない子えーん

 

 

あれ滝汗前任校と全然ちがうぞ滝汗滝汗滝汗

授業全然すすまねーぞ滝汗滝汗滝汗

どーなってんだーーー滝汗滝汗滝汗滝汗

 

 

・・・こうしてドラマティック担任ライフが始まったニヤニヤ

 

 

 

 

 

とにかく日中はあらゆる事件解決に奔走

教師というよりもはやケーサツ

トイレ行く暇もなく膀胱炎に笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

  音楽活動どころじゃないゲロー

 

 

日中 →事件と授業

放課後→諸業務や授業準備~ウインクと思うと帰った場所で事件が起きて出動真顔

・・・気付くと22時ポーン

 

というのを繰り返していて、

土日も授業準備したり倒れこんだり・・・

全然音楽活動どころじゃなかった笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

オーディション主催者さんにも事情を話し、

レコーディングなどの日程調整をしてもらっていた。

自分もその日を見越して授業を進めたり

体調を整えたり・・・と気を付けていたものの

 

急な学校の業務ができたり笑い泣き笑い泣き

体調を崩してしまったり笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

そうして大事なレコーディングをキャンセルを2回もしてしまったゲッソリゲッソリゲッソリ

 

次キャンセルがあった場合今後のサポートできません

・・・当たり前だよねえーんえーんえーん

むしろ3回目のチャンスをくださるなんて本当に

神様仏様えーんえーんえーん

 

 

自分自身のためにも、

こんなにチャンスをくださる先方のためにも

次こそは絶対に行くぞ!!!

 

そう決めて、

体調管理も徹底的に行いお願い

担任業務もがんばった爆笑

 

 

よっし!いよいよレコーディングだ!

と、意気込んで家をでたそのとき

ケータイがなったニコニコ

 

 

 

  沼倉せんせい、事件です!

 

その日は休日だったが

自分のクラスの子がとある事件に関わったようだった。

 

 

ウソをつけばきっとなんとかなった。

でも自分にはできなかった。

 

 

今から行きます

レコーディング関係の方には事情を話して

謝罪した。

 

 

残念ですが今後のサポートはできません

当たり前の対応だ。

正直くやしかった。

でも涙は出なかった。

”現場に行かねば”

私の担任の血が騒いでいた。

 

 

 

  あっという間の解決

 

 

 

詳しい内容は言えないけれど

あっという間に解決した。

その場にはわたしと同じ学年のもう一人の先生がかけつけた。

(2クラス関係していたから)

 

報告を踏まえて事件を整理するために、

2人で学校に向かった。

 

 

事件が解決した安堵感と

急に予定のなくなった休日の午後の虚無感と。

 

 

複雑な思いを抱えながら学校に向かった。

 

そして諸々終わったところで

一緒だった先生が叫んだ。

 

 

今日、誕生日だったのにーーー笑い泣き笑い泣き笑い泣き

どうやらこの休日を使って旅行に行く予定だったそうだ。

しかし朝の電話でその旅行もキャンセルしたらしい。

 

だれもいない静かな職員室で

先生は膝をついて泣き崩れていた。

 

わたしはそれを見て、心を痛めながらも

 

 

・・・わたしも最後のチャンスだったのに

 

音楽活動をしていたのは秘密にしていたので

その言葉を心の奥底で叫んだ。

 

 

子どもが無事でよかった。

でも。

 

 

わたしの今までの努力は散ってしまった。

この時のわたしはまだ知らない。

これは”地獄”ではなく

”地獄の始まり”だったこと。

 

つづく。