【音楽活動①】失恋→不遇時代→無双するまで | TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

シンガソングライター/元小学校教員(歴12年)
ヒーラー養成スクール校長/四柱推命鑑定士

起業1か月で月商7桁、2年目で年商8桁達成
1000名以上のカウンセリング、20名のヒーラー養成

どん底から大逆転!夢を叶え続ける30代のリアルを発信

今日はわたしの音楽活動の経歴について話します!

 

✅やり場のない気持ち、地下車庫が心の居場所

✅高校時代のライブ成功と闇

✅失恋から始まる音楽活動

✅1日17時間労働でも追いかけ続けた音楽の夢

✅10年ぶりのステージの実現

✅ワンマンライブまでの道のり

✅ようやく自分の曲が描けるようになった

 

こんな順番で話します!

 

 

  やり場のない気持ち、地下車庫が心の居場所

 

わたしの幼少期は

 

中々痛々しいものだった。

 

いつも心がヒリヒリとしていたんだけど、

幼い自分にはその原因もわからなかったし、

心の内とか家庭環境って中々目に見えないし比べようもないから

”みんなこんなもんなのかな”って思っていた。

 

 

 

 

 

”心を押し殺して生きる”

 

ってのがいつの間にかデフォルトになった自分にとって、

学校から帰って、親が家に帰るまでの時間

地下車庫で叫ぶように歌うのが

自分にとって、

”自分らしくいられる時間”だった。

コンクリートで固められた

夏でもひんやりとする

冷たくて無機質な灰色の空間。

 

傍からみたら闇のように見えるだろう。

それでも自分にとってはかけがえのない時間だった。

 

コンクリートにかためられた空間は

通常の部屋よりも

声が細く透き通って響く。

誰が聴いてくれるわけじゃないけれど

その心地よさと、

やり場の気持ちのない想いが昇華されていく

そんな感覚を味わっていた。

 

 

 

  高校時代のライブ成功と闇

 

 

”歌がやりたい!”と

ずっと心の奥底にあったのだけど、

それを口に出してみても親には相手にされない。

 

いつしか心の奥深く、

”誰にも言わないのが一番いい”と閉じ込めていた。

そんな自分に転機が訪れたのは

 

高校の文化祭だった

高校生になって、放課後カラオケに行く機会が増えた。

そんな中で

”いずみは歌が上手い!”と友達の中で話題になっていた。

 

そんなある日、

「いずみ!文化祭で歌おうよ!」と声をかけてくれた友達がいた。

彼女は幼いころからエレクトーンを弾いていて

相当な腕前だった。

 

彼女に言われるがままに、

彼女が押さえてくれたスタジオに入って

エレクトーン×歌のセッションが始まった。

 

カラオケとは比べようもない

彼女の産み出す音楽のエネルギーに乗って

わたしの歌が舞い上がり始めた。

 

文化祭のステージに上がるためには

オーディションがあった。

彼女が用意してくれたビデオで撮影し申し込み、見事合格。

 

 

オープニングセレモニーで歌うことになった

 

わたしにとって人生で初めての大舞台。

そんな自分があれよあれよと1000人以上の前に立って

1人で歌おうとしている。

 

”緊張した?”ってよく聞かれたけど

全く緊張しなかったw

 

むしろ

 

”この時間をまっていたーーーー!”と

 

魂が叫んでいた。

 

当時のわたしは、ボイトレを受けたわけでもない

カラオケに行けば

”うまいね!”と褒められるレベル。

 

今だから言えるけど、

総体的にみたら大したレベルじゃなかったの。

 

それでもね、わたしが歌ったら

みんなが涙してくれた。

自分でも不思議な感覚だった。

 

 

あれ、なんかわたしには不思議なチカラが宿っているキョロキョロ

 

このとき私は重大な感覚を手に入れていたんだ。

この後、”歌”における経験は本当にキツイ出来事もたくさんあった。

それでも諦められなかったのは

この経験と感覚が在ったから。

 

 

わたしの歌は何か大きな力に導かれていて

みんなの心を浄化するチカラがあるのだ

その感覚がどんな辛い経験をしても

揺らぐことなく心の根底にあったから

わたしは心の灯を絶やすことはなかった。

 

 

 

ライブの後の闇

未だかつてない高揚感と喜びに包まれて

家に帰った文化祭の夜。

 

普段は話すことのない父に

思わず今日の日のことを話した。

「文化祭のステージで歌ったんだ!」

 

「また恥をさらしたのか」

父から返ってきたのはそんな冷たい一言だった。

 

どんなに外側の世界で満たされても

家に帰るとこんな冷え切った場所で。

満たされた思いも一瞬にして粉々に砕かれていった。

わたしの心の闇は深まった。

闇の中でたたずむ自分と

”このままではいられない!”と

光へ進もうとする自分がいた。

 

 

 

  失恋から始まった音楽活動

 

高校時代までは親から反対されていたこともあり

思うように進まなかった音楽活動。

 

”大学入ったら自由にやる!”と決めて

猛反対な中、軽音部に入った。

 

軽音ときくとめっちゃロックなイメージだけど、

”ジャズ研”が名前を変えたサークルだったようで

もの凄く奥深い音楽の世界へと入り込んだ。

 

今までずっとガマンしていたものから解き放たれて

いつも本格的な生演奏の中で歌える!

 

 

やっと求めていた世界にたどり着けた!

もう本当に、夢の中で生きている感覚だった。

だかしかし!そんな時間も長くは続かなかった。

 

・・・なんと当時サークル内で付き合っていた彼氏が

サークル内の他の女に乗り換えたのだ!

(ケータイじゃねーんだよ!)

 

今思えば、周りのみんなもどう接していいのかわからなかったんだろうね。

わたしが一番つらかったのは、彼の行動というより

”腫物にさわる”ような周りの対応が一番きつかった。

 

そして彼への未練は驚くほどなかった笑い泣き

(むしろその程度の男だったと早めに分かってよかったなと。)

そしてこの事件がきっかけで、わたしは大好きだった

「軽音部」から身を引いた。

 

宇宙の流れで言ったら、このクズ男が

次のステージへと私を進めてくれたんだうさぎ

 

 

 

  居場所がない!見つけてやる!

 

せっかく見つかった大切な居場所がなくなってしまった。

サークルの仲間といつも一緒だったから

わたしは居場所と同時に友達も失ってしまった。

 

この時落ち込んでいる暇はなくて

”どこか歌える場所はないか?”

必死に探して挑戦する日々が始まった。

初めてのステージは

 

 

小さなバーでのステージだった

人が10人入ったら満席になっちゃうようなところ。

それでも歌える場所があるってありがたかった。

わたしの初めてのお客さんは2人。

高校時代の同級生だった。

テニス部時代に中の良かった二人で、本当に心強かった。

 

その後も手当たり次第に歌える場所を見つけては

”歌わせてください!”と申し出る日々

 

 

お客さん0の時もあった

まじでなにやってんの状態笑い泣き笑い泣き笑い泣き

本当に恥知らずの極みね笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

そしてこの件について主催者から

”直に怒られる”というわけではなく

”ネット上でディスられる”という事態えーんえーんえーん

(こっちの方がキツイ・・・ゲローゲローゲロー

 

 

そんな報われない時も何度もあったんだけど

それでも諦めずに色んな場所で歌うチャレンジをし続けたの。

 

 

  地道な活動でファンができていった

 

ほんとに地道な活動!

しかも当時たった一人。

自分で歌える場所見つけて→申し込んで→集客して→歌う

 

今思うとようやったな、と思う。

 

そしてその中でも一気に知名度を上げたのが

 

 

カラオケイベントだった

 

とある音楽イベントの主催者さんに

「いずみちゃんぜひ来てよ!」と言われたのがきっかけ。

 

それからそのイベントの主催の手伝いと、

その場所で歌わせてもらって盛り上げるというのが

わたしの新たな居場所の一つになった。

 

 

そしてわたしは無双する

 

・・・タイトルやべえな!w

でもマジで無双してた。

 

四柱推命的に振り返っても

「場を主催する×歌う」というのが

自分にめちゃくちゃ合っていた。

 

今までとは比べられないほどでの人たちと出逢い、

そして自分の歌が聴いてもらえるようになり

瞬く間にファンも増えていった。

 

そしてファンの人数に比例して

歌えるライブのステージも大きくなっていった。

長くなっちゃたから次へ続く!