来年に出す本の校正が出てきて

著者校をする日々に

ようやく区切りがつき、

他にもやることはあるのですが

明日は少し休もうかな。

 

校正の時は

300枚ならば300枚、

何処で改行して何処に

句読点があってが

頭の中にほぼ80%

くらいトレースされます。

 

異常な能力ではなく

将棋や碁の棋士達が

対局時、盤面の手順を

記憶してしまうのと

同じで、慣れれば

出来ます。

 

でも長時間保つのは

大変なので

疲れるのは疲れます。

 

春くらいに出版されると

思っていたら

2月か3月に出るらしいです。

 

国書刊行会、恐るべし(笑)。

 

11月の打ち合わせの際、

担当さんが

レジュメを持って、

やってきました。

 

開口一番、

 

この本は野ばらさんの

集大成ともいえる

エッセイ集です。

だから、国書としては

野ばらさんのコアな読者しか

読まなくていいと思っています。

拠って、大勢の人に向かい

宣伝することは避け、

野ばらさんの読者にだけ

届くよう、頑張ります。

 

そんなんじゃ

お互い、困る筈というと、

 

うちは国書刊行会なので

 

という。

 

そして、

 

そのかわり、装丁は

ヤバいくらいに凝ります。

今、考案中の装丁を

出来る印刷所を探している

最中です。

大手では出来ない

地味だけど玄人受けする

あり得ない装丁をします

 

とも、いう。

 

愛され過ぎていて

少し、恐いです。

 

うちの読者は変だし

数も少ないし、

これでもいいのでしょう。

 

定期的に

くれるのだけど、

私は貴方の本を

まだ一冊しか読んでない

というものや

 

貴方のおかげで

癌手術に成功しました、

ありがとうございます

というものや

 

様々な手紙が

僕の許には届きます。

 

もう少し、読めよ

と思ったり、

癌は治せないのだけど

と思ったりしますが

僕という存在で

支えになるならと、

納得することにしています。

 

子供の時に読んだ

『銀河鉄道の夜』の

一節が今でも僕は好きです。

 

 

 

めいめいが自分の神様が

本当の神様だというだろう。

けれどもお互い

本当の神様を

信じる人達のしたことでも

涙がこぼれるだろう。

 

よく、小学校での

国語の授業の

話題が出ますよね。

 

この時、

作者は何を思ったでしょう?

 

大人になった

僕達は訳知り顔で答えます。

 

それに答えなんてない。

読んだ私がどう思ったか――

それが答えだと。

 

でもね、違うんですよ。

 

不正解とまでは

言いませんが、正確には

こうなのです。

 

この作者と

共に出した結論こそが

私にとっては

正解です。

 

そうでなければ、

書いた方の

意図はどうなるんですか?

 

作者のみで

作品は仕上がらないし

読者のみでも

作品は仕上がらない。

 

作者と読者の共同作業で

作品は仕上がるのです。

 

その共同作業を

出来る限り円滑に

進められるようにと

誤字脱字がないかとか

表現がやや

解りにくくないかとか

重箱の隅を突くような

校閲のチェックを受け

作家は初稿に挑みます。

 

ここの句点、

こっちに移動する?

とか注意され、

 

俺の文章なんだから

俺のリズムで

いかせろ!と憤りながらも、

読む人にとって、

なるほど、

その方が読みやすいか――

 

考え直し、最善策を選ぶ

果てなき努力をおざなりに

しないのは

 

そして逆に、

ここはこれで

いかせて下さい――

 

校閲に刃向かい自分の

ルールを通そうとするのは、

読者との共同作業を

円滑にする以外、

何の目的もありません。

 

それぞれの神様を

本当の神様だと思っている

同士が、読ませる

読むの

関係性になるのですから、

ここをテキトーに

済ませるは、

理解の放棄を

宣言するようなもの。

 

少なくとも作家がそれに

手を抜くは

赦されないのです。

 

300頁の80%を

記憶する能力はそういう

読んでくれる人への

緊張感が生み出すもの

なのかもしれないです。

 

実際、これ以外に僕は

根本的に

暗記が異常に苦手で

出来ません。

 

将棋で勝ったことがないは

ルールが

憶えられないからですし

歌詞を覚えている歌なんて

一曲たりともないのです。

 

憶える努力をしようと

いう気が起きない――

の方が

正しいかもしれませんが。

 

 

ということで

メリークリスマス。

 

来年は結構、いろんな

発表やリリースがあります。

 

異なる神様を信仰しつつも

君とその都度の

経験を共有出来れば

嬉しいなと思います。

 

めいめいの神様を

信じる者同士が

したことで流す涙の方が

同じ神様を信じた者同士の

涙よか美しいのじゃ

ないかなと思います。

 

こういうことを

クリスマスに書くと

バチ、

あたりそうですが……。

 

 

ガーディナー指揮

バッハ

「クリスマスオラトリア」

を聴きながら

 

嶽本野ばら