この年齢になると、老いても教養のある人は

スキンケアを頑張っている

という訳ではないにせよ

男子女子に拘らず、

佇まいがシャンとしておられ

見苦しくないを実感します。

 

若い時代は情熱や

モチベーションで取り繕えますし

元来、容姿が整っていれば

それが倍になって反映されますが

 

やがて歳を重ねると、

摂理として見た目が汚くなっていきます。

 

それでも

教養豊かな人は、それに関係なく

気持ちの良い印象を纏っておられます。

 

物忘れは非道くなるでしょうが

教養は、一日、一日、

堆積していくものですので

逆に、ピークが下がった辺りから

外に姿を顕すのかもしれませんね。

 

どんなに頑張っても

一日に読める本の量は限られるのですから

十年、二十年、三十年と長い年月を経て

結果が出るものなのかもしれません。

 

今まで無頓着だったのに

急にお金持ちになったから、

ハイブランドを着てみたけど、

着こなせてないので残念

と同じ道理でしょうか?

 

安いものを着回して

失敗して、考えてを繰り返し、

やがて経験値でハイブランドも

ラフに着用出来るようになる。

 

 

若い頃はどうしても、履修したものを

これみよがしに使いたくなるものです。

 

 

それが、

「いいスーツを着ておられますね」

「否、適当に羽織っているだけでして」

「不躾ながら、何処のものでしょう?」

「うむ、何処だったかな……」

タグを確認してみるとPRADAでした

――というふう、なるようなものかも。

 

 

昔、読んだ筈ですが、

永井荷風「ふらんす物語」、

まるで憶えていませんでした。

 

でも、この歳だからこそ

しっくりきます。

 

「墨東奇譚」みたく

歳を経てからの作品の方が

いい筈ですが、若い時代の

風景画のようなこの作品が

清々しく身体に入ってきます。

 

それなりにラクに

読みこなすだけの教養が

自分にも

付いたということでしょうか。

 

生きようと悶く、飢えまいと急る。この避く可からざる人の運命を見る程悲惨なものはあるまい。自分には自殺した人や病気で死んだ人に対するよりも、単に「生活」と云うものの為めに目覚しく働いている人を見る時如何に辛く如何に傷しく感ずるであろう――「霧の夜」(ふらんす物語)

 

人生のピーク期で既に、

これに共感しちゃイカンですわな。

 

レチノールより、確実に効く

永井荷風の「ふらんす物語」。

抒情成分、200%配合。

医薬部外品ですが、おすすめです。

 

 

効果・効能には個人によって差があります

 

 

 

大野露井さんから著書を頂き、感想を送ろうと思えど、宣伝になった方がよかろうと書評じみたものを少々。

 

SNSや文学フリマの底上げもあってか、最近の若い人は文章が上手いです。

 

だからそこには触れないことにして。

 

最初に収録されている「劇場」――。

 

針刺しを横に置いたのに特に意味はないです

 

ロンドンを散歩しているだけの風景画のような短編。

 

そこが良い。

 

わざわざ小説を書こうという人は何かを言いたいから書く訳ですが、彼の場合、そのモチベーションが見当たらない。

 

悪口ではなくて……。生田耕作が『ダンディズム』で論じたボー・ブランメルを想起させます。

 

ブランメルは、服にしか興味がなく、延々とネクタイの結び方を研究していたような人で、生田耕作に拠れば、

 

すなわち、ダンディズムは〈知性〉と〈意志〉とをつなぐ鋼鉄のくさりである。この一種の禁欲主義が到達する果ては、醜い情念をきびしく制御し終えたときに得られる、不感無感の境地である。

 

だそうです。

 

この文言をもってして、大野露井を語れた気がします。

 

不感無感――と書いてニヒリズムと読んでも良い。

 

文体や構造は海外の現代文学の影響下にある(予想)。

 

かつて大江健三郎は、村上春樹をフィッツジェラルドの模倣に過ぎぬがここまで完コピ出来るのは称賛に値する――というふう評しましたが、でも村上春樹には村上春樹の自我があります。

 

大野露井は観せないんですね、自身の自我を。

 

唯一解るのは、この人がロンドンを盲目的に崇拝しており、小説を書かなければと思っていることのみ。

 

 

ロンドン最強説を唱えるのですから、スノッブな作家なのは間違いなくて、「秋の夜長の夢」という作品では、わざわざ、「俥にも乗った」というふう、車でななく俥と表記したりする。

 

ロンドン愛好家なので、漱石の話題も出てきますが、僕の印象だと漱石より、鴎外の気質に近い。鴎外のやたらとドイツ語を混ぜてきたり(特に医学用語)、高踏の振りをして和漢に通じてます――をゴリ押ししてくる感じが、そう思わせるのでせうか。

 

このフィルターをかけてしまうと、大野露井は、ロンドンを語りながら、日本の近代文学の流れを、真っ向から引き継ぐ作業をしようとしている作家と位置付けしたくもなる。

 

なので

LONDONではなく彼の眼に映るものは倫敦です。

 

ペダントリーを気取るのが昔より、困難になった昨今。よっぽど博識でもチャットGPTに揚げ足をとられる。

 

しかし文学者はやはりペダントリーでなければ面白くないと個人的には思います。

 

僕らの若い時代は、プロデュースをオーガナイズと言い換えたり

編集をエディトリアルとしてみたり

言葉の定位を、ずらせていくだけで格好が付けられた訳ですが、もうそれは通じない。

 

茨の道、進んではりますなぁ……と敢えて京言葉でねぎらってみます。

お若いのに大変どすけど、頼もしおすわ。

 

地味にではありますが、彼のような若い世代に拠って、確実に文学は変革されています。

 

僕はもう旧世代なのでそれを見守りつつ、相変わらずなものを書いていこうと思います。

 

久々に開いたら、めちゃ赤線が引いてある😅

僕は本に線を引くタイプじゃないのですが

当時よっぽど啓蒙されてしまったのだろう

——生田耕作の「ダンディズム」

 

 

嶽本野ばら

 

 

 

吉屋信子展@神奈川、講演会

ありがとうございました。

 

講演なんて久しぶり過ぎますし

キャパ、220名!

 

動員ならあると大口叩いて

後から収容人数を知り

慌てましたが無事、満席。

 

館長の荻野アンナさん

編集委員の斎藤美奈子さん

にもお会い出来ましたし

 

澁澤龍子さんも来て下さり

久々の再会を喜びあいましたし

 

確か最後にお会いしたのは

金子國義さんのお葬式

 

色々と収穫のある日でした。

 

とはいえ、ジェンダー

LGBTQの問題に踏み込む

今回の講演は

滅茶苦茶、緊張でした。

 

でもその後、50名程度の

プチサイン会を

させて貰えたので

リラックスしました。

 

サイン会はとても好きです。

 

デビュー当初は

背負うものが大きく

スタッフにも隠れて

開始ギリギリまで

トイレで嘔吐していたりも

したのですが

 

今は、

一人一人に直接会えるのが

嬉しくて、ドーパミン出ます。

 

講演会という

イレギュラーもあってか

新規の人も結構おられて

 

 

「この人、吉屋信子選集の

監修もしてるんだ。

絶対、面白いと思ったんで

来てみた!」

 

というクソガキもいたので

歳を訊いたら

JKでした。

そりゃクソガキに違いないわ。

 

 

GWだったので

行きの新幹線がグリーン車も

ほぼ満席で

降りる時にイヤホンの左だけ

落として行方不明になり

新しいのを購入せねば

ならないのですが

そういうこともあるから

有線に切り替えようか

迷い中です。

 

 

耳の穴が少し

人より小さいのか

イヤーチップをスモールにしても

よく落ちるのです。

特に左耳・・・・・。

 

近日に、

小説家デビュー25周年

ファイナル企画の先行告知を

Xでさせていただきます。

 

きっと喜んでいただけるでせう。

 

でわ、またね。

 

嶽本野ばら