G Wが来ました。

この時期は

恐怖と憂鬱に押し潰されそうになります。

 

2015年のこの時期、

僕は上野の留置所にいました。

違法薬物(危険ドラッグ)所持で

逮捕、勾留されていた。

あれからもう7年が経ったのだけれども

ほんの1年前のことのように

記憶は生々しく遺っていて

朝、目醒め、

自分が独房の中にいるのではないことを

知ると、名状し難き溜息を吐いてしまう。

 

過去から最新作に至るまでの著書の

解説をやっていこうと思い

9作目の『カルプス・アルピス』まで

行ったのですが

一旦、数冊飛ばしてしまい

単行本としては21冊目になる

『タイマ』に就いてを

記そうと思います。

 

 

この小説は、2007年

大麻所持で逮捕された

時のことをネタに作ったものです。

(僕は二度、薬物関係で逮捕されている)

 

二度の逮捕の経緯は

端折り、

ここでは今年のGWを迎えた自分の

心境を吐露させて頂ければと。

 

2015年の保釈後、

東京を離れ

京都の実家で家族と暮らすようになりました。

薬物依存克服の為、精神科にも

通うようになりました。

 

とても話しやすい先生だったので

治療というよか雑談するのを

楽しみに訪れていたのですが

1年半程前、その先生は定年退職

なさってしまいました。

 

「僕、おらんようになるけど、君、どうする?

もう治療はいらんし、これを機会に

終了にするか?」

「でもここに来るのが習慣みたいに

なっているので

後任の先生を紹介して下さい。

病院に通っている実績が

たまに無性に欲しくなる薬物を撥ね除ける

ハザードになっていたりもするので」

 

という訳で

新しい先生をあてがって貰ったのですが

新先生は、

僕がまだ薬への渇望を強く持っていた

時期を知りませんので、

会話がひろがりません。

そしてコロナ禍、

診察室でもソーシャルディスタンス、

互いの距離が縮まらないまま、

今に至ります。

 

数ヶ月前、弁護士の先生から

大きな段ボールが届きました。 

もう時間が経過したので

あの時の資料を処分したい。

でも、貴方に関する資料なので

貴方に返すのが

筋だと思って郵送します——

と、中に入った手紙にはありました。

 

ファイルにして15冊の膨大な資料。

捨てる訳にもいかないので

クローゼットの奥に仕舞いました。

 

『タイマ』では被疑者である僕を

取り調べの刑事さんが

「ふざけんじゃねぇよ」——と

呆れたり

怒ったりするシーンが出てきます。

 

実際、この台詞は

頻繁にいわれました。

ふざけた受け答えを

しているのではないのに

そういわれるのです。

二度目に放り込まれた際は

ドレッドヘア、

両耳に一杯、派手なボディピアス

をつけていて

留置所では通常、ボディピアスは

ペンチで切られ、外されるのですが

係の人が

「こんな複雑なピアスは

どうやって撤去していいのか

解らない、ペンチで耳を切っては

大問題になるし……」

と外すを断念したが故、

そのままでいいことになりました。

しかし、取り調べる刑事さんとしては

こいつ、ふざけやがって……と思う。

 

無論、僕もそれは理解やれたのですが……。

 

でも約一ヶ月間いた留置所の

看守さんの数名は徐々に

親切に応対してくれるようになりました。

「何の本、読んでるの? 

ドスト? エフ? スキン?

やっぱり作家さんは

難しそうなものを読むんだねぇ」

「うちの娘がお前のファンなんだって。

だから、いじめちゃ

ダメっていわれちゃったよ。

俺、いじめてないよな?」

「はい」

実は入った当初、一寸意地の悪いことを

されたことがあったのですけども

水に流すことにしました。

娘さんが読者なら仕方ない。

 

嬉しかったのは、夕方のお弁当が

業者のミスで一個足りないことがあった時。

看守さんに

「不足分はじきに調達するから

少しの間、お前だけ我慢してくれないか?」

と持ち掛けられたこと。

 

僕を

俺の分の弁当、寄越せ!と暴れない。

信頼に値する人間と

思ってくれたであろうことでした。

 

京都に居を移してからは

仕事らしい仕事はほぼ出来ませんでしたし

今も以前のようには

まるで戻ってはいません。

なので

偶にラクマでハンドメイドの作品を売ったり

友人の家の留守番なぞをいいつかって

お小遣いを得たりします。

 

小説は書いています。

出版社に渡しても読んですら貰えぬ

そんなことも多いですが

それでも書いています。

(読んでくださる方もいるので)

 

昔よりは暇ですので

エゴサーチとかすると

嶽本野ばらって消えたよね

ヤク中で死んだ筈——というような

コメントに出くわしますが、

オスカー・ワイルド曰く

噂されるより悪いことは全く噂されないこと

だろうと、気を強く持ちます。

 

僕はやはり、

ふざけた人間でしょうから——。

 

実は、前任の精神科の先生から

「僕は医師の立場から大麻依存の

実情を教えて欲しいと請われ

警察で講義とかをするんやが

実際の大麻依存だった人にインタビューして

記事にしたい。

誰か紹介してくれと

いわれてて、困ってるんやわ。

誰が顔と名前を出して

私は大麻依存症でしたと協力する?

君は、一応、そういう仕事の人やから

考えるだけ考えてくれんかな?」

打診を受け、先生の頼みじゃ仕方ないですよ

と引き受け、

警視庁の人達と会うことにしたのでした。

結果、警視庁のH Pに記事が出て

 

https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/drug/drug/taima_boshi.files/04.pdf

 

この記事が思いの外、反響があったと喜ばれ、

 

2021年、

感謝状まで貰ってしまった。

 

大麻で捕まり、懲罰を受け、

大麻で小説を書き、大麻で感謝状を

貰うような

 

やはり僕は、

ふざけた人間でしょうから——。

 

いいふうに

思われないのは仕方ないですよね。

 

 

 

死のうと決めたこともありましたが

天然でふざけているので

悲劇を全う出来ない。

 

 

 

嗚呼、だから君よ——。

 

僕が7年前のこの時期を

フラッシュバックさせつつ

こうして書くのは、

決して

大変だったね、

めげずに頑張ってねと

優しくして貰いたいからではないのです。

 

 

今年のG Wは

去年までとは違い、

吹っ切れたこともあるから

思いの丈を

綴ることにしたのですよ。

 

凋落と共、

潮がひくように去っていった人達、

今なら弱っているであろうから

上手く使ってやれと

血の匂いを嗅ぐハイエナの如く

群がってきた人達、

そんな者達の応対を続け、

ひと段落ついた時——。

 

君は、

何が何でもそばにいるよ、

損得勘定抜きに好きですよと、

いって——、

ガラクタの奥に、

残ってくれていました。

 

手紙すら一度も寄越さずとも

変わることなく見据えてくれていた

心強き人達の影も——、

昔以上に僕の

眼の前にしっかりと現れた。

 

これらは、

思いも寄らず

つい、最近のことなのだ。

 

 

僕は

ふざけているから、

そこまで

大事にして貰える

存在でない筈なのに……。

 

もしかすると、君も

どうしようもなくふざけた、

この世界のゴミ、

ガラクラの中のガラクタ、

お荷物だったりするのでしょうか?

 

それならば、

どうか僕に

お礼をさせて欲しいのです。

大麻はもうやめたので

あげられないけれど、

君への感謝状を、僕は記す。

 

転落したからこそ

見つけられた忠信があったなんて

ありきたりの人生訓は不要だね。

 

君は、僕以上に僕に期待し、

僕以上に僕を愛し、

僕以上に僕を、

僕としてとどめておこうと、

してくれているのですね。

昔も今も、

ひたすらに。闇雲に。辛抱強く。

 

ずっと感謝状の文言を

考えていたのだけども

適切なものを思い付けません。

 

「でもね、私達、一人一人の人生って、さっきもいったけど、嬉しいことも悲しいことも全部、一見、デタラメなように絡がっているものでしょ。だから、皆、都合のいいように、解り易いように、他人の人生も自分の人生も、編集しちゃうんだと思う。本当のことなんて、生まれてから死ぬまでの全てを何一つ落とさずに観続けていなければ解らないのに……。」

 

『タイマ』での琴乎あいの台詞。

 

君への感謝の言葉として贈ります。

 

*自著の引用とは、

ふざけんじゃねーよ、ですね。

ごめんなさい。

 

嶽本野ばら 2022.05.06