前回の続き
それで国書刊行会より
『それいぬ』が出た訳ですが
現実は厳しくて
売れないのですね、殆ど。
いいものを出せば
クチコミで評判になると
信じていて
いろんな人が
誌面でとりげたりも
してくださったんですが
特に目立った動きはない。
そんな中には
ミツカちゃんという
当時、『ジュニー』で
読モをしていたコもいて
彼女が自分の連載で
『それいぬ』を勝手に宣伝
してくれていて
結果、僕は『ジュニー』で
エッセイの連載を持たせて貰える
ことになったりもしたので
(後、『パッチワーク』に収録)
成果がない訳では
決してなかったのですが。
何故に売れないんだろう?
そうだ
エッセイだからだ
エッセイ本というのは
タレントや小説家が
出すもの――
ということは、一作、
小説を発表して肩書を
つければ
売れるんじゃないか?
『それいぬ』。
こんな不純な理由で
執筆したのが
『世界の終わりという名の雑貨店』
なのでした。
すみません、
夢を壊してしまうような現実で。
書いてしまうと
そこそこ、いい作品である気がして
知り合いのツテを
頼り、文芸誌の編集部巡り、
読んで欲しいと原稿を
持っていく毎日が続きました。
皆、称賛、
いい小説です、
技術は最高レベルと
いってくださるのですが、
結果として
「でも、誰が読むんでしょう?
読者が想定出来ない」
という理由などから
雑誌に
載せては貰えませんでした。
そして或る編集者さんから
「もっと確信犯的に
少女小説を意識したものを
仕上げれば受けるかも
しれないですね」
アドバイスを頂いたので
それなら簡単、
と一週間で書いたのが、
『ミシン』でした。
これも夢を壊しますかね?
すみません……。
そうして、『ミシン』を持って
その編集者さんを訪ねたら
「余計に掲載出来ない作品です」
と怒られた……。
こうして
『世界の終わりという雑貨店』
『ミシン』という
二作を抱え、僕は
途方にくれてしまったのでした。
困ったなぁ――もう、訪ねる出版社も
ないし
と考えあぐねていたら
友人の宮下マキが
小学館の担当者に逢わないかという。
彼女は当時、新人写真家の登竜門
で賞を受賞し、その作品を
小学館で写真集として発行した
直後でした。
小説専門という訳でないけど
ノンジャンルで出版に関わっている
人だし、逢うだけ逢えば?
そうだね、そこからまた誰か
紹介して貰えるからだからね
そう返事して連絡先を教えて
貰い、
菅原さんなる小学館の編集者に電話。
「原稿はお預かりします。
でも色々、仕事を抱えていまして
最低でも三ヶ月は眼を通せないと思います。
それでもいいなら」
「はい、気が付いた点のアドバイスを
頂ける程度で構いません」
マキちゃんにもっと
違う出版社の人をまた
紹介して貰おうかと思いながら
家に帰りました。
この頃、僕は関西から東京に居を移して
多分、一年くらいだったと思います。
上京にあたり少し貯めたお金も
底をつき始めていたし
アルバイトしなくちゃと
考え始めておりましたので
求人広告を読み始めていました。
約一週間くらいした後、
菅原氏より電話がありました。
「お預かりした原稿なのですが」
「はい」
「出版しましょう」
「三ヶ月待てと言われましたが」
「でも読んでしまいました」
絶対、騙されていると思いました。
だってそんな虫のいい展開が
ある筈はないではありませんか。
雑誌にすら載せて貰えないのに
即、単行本で出版なんて。
騙されている場合、
どうしたらいいのだろう?
誰か相談出来る人は――?
ああ、そういえば
吉本ばななは、
一度だけ逢ったことあるぞ。
ご飯、食べたし、
一応、友達といえなくもない。
彼女に電話してみよう。
思いつき、ばななさんに相談。
「うん、それは騙されているよ」
「ですよね、話がうますぎる」
「一応、その原稿のコピー
私の事務所に送ってきてよ。
どんな作品なのか気になるし」
送って三日目くらいでしょうか
ばななさんから電話がありました。
「読んだよ」
「早いですね」
「仕事柄、読むのは早い」
「ありがとうございます」
「結論から言うね」
「はい――」
「これの帯の推薦文は私が書きます」
「騙されてるんじゃなかったんですか?」
「この作品に関しては例外。
これを出さないことの理由の方が解らない」
経緯を振り返ると
苦労しているのかしていないのか
全く不明です。
しかしこうして、
処女小説集
『ミシン』が出ることになりました。
追記
タイトルは『MILK』
だったのですが入稿直前に変更
になってしまいました。
(多分、続く)