『それいぬ——正しい乙女になるために』が

紀伊國屋の電子書籍の趣味・

生活全般ランキングで

何故か、今更、3位になっていて

多分、偶々、集計をとった時期に

強いライバルがなく、

漁夫の利的に浮上した結果、

すぐランク外になると思いますが、

『それいぬ』の熱烈な信奉者の方々から

沢山のお祝いを頂いたりしたので

少し、出版当時を

振り返ってみようかと。

 

あとがきにもあるのですが

これはフリーペーパーの

『花形文化通信』に

月イチで1992年から1997年まで

連載したものを終了後、

まとめたものです。

 

こんなに身勝手なものを

書いたら

苦情が殺到して

すぐに打ち切りになる

だろうけれど、

別にいいやと居直るようにして

書いたエッセイ。

 

思い掛けず、

沢山のお手紙(苦情ではない)を貰い

延々と続けることになりました。

 

いつ、本になりますか?

という質問や、

僕が既に著作を持つ作家だと

勘違いして、

野ばら社の本を

買ってしまった人の失敗談や

(慌て者にも程がある)

一回ずつの連載をスクラップして

本のようにして

持ち歩いている人に出逢い

(インディペンデントであったからこそ

そういう読者とも出逢えたのだと思う)

一冊にまとめなければならないと

決心しました。

 

でも当時は単に

少し地方で名の知られた一介の

ライターに過ぎず

道はとても険しかったです。

 

知名度のない人の

それもエッセイなど

売れる保証がない

多くの出版社で断られましたし

企画を立ててくれる

編集者もいましたが

会議で却下されるが通例。

 

でもって、国書刊行会に直談判

中原淳一の復刻とか出している

ここならどうにかしてくれる。

最後の希望を託しました。

 

そして出版の道が

開けたのですが、

条件は悪いものでした。

部数は2000部くらい

だったと思います。

(1998年発行)

手売りノルマも課せられました。

相談した人達は大抵、

反対しました。

 

でも、出すことにしたのです。

 

いつ、本になりますか?

 

その要望にどうしても応えたかった。

 

 

僕は美術をやりたかった人なので

本を出すことへの

憧れはありませんでした。

『ミシン』を2000年に

出したのだって

小説を一冊出しておけば

エッセイが書きやすいし

『それいぬ』が

もっと注目されるという

下心があったが故。

 

それなのに専業作家として

20年以上、経つ。

人生は不可解です。

 

装丁、帯のコピー、

ほぼ全て自分でやりました。

 

単行本のタイトル文字

飾り文字の

それいぬ

 

これも

自分で版下に貼ったんです。

 

野ばら社の図案本から

一文字ずつ

コピー、拡大、

ペーパーボンドで切り貼り。

 

著作権がヤバいかなと今まで

黙っていましたが

少し前、

野ばら社の方と

お友達になり既に

告白しましたので

ようやくバラします。

 

実質の装丁のテクニカルな

作業をしてくれたのは

当時、『花形文化通信』の

編集部に

間借りで席を持っていた

グラフィックデザイナーの

津村正二君——

もう随分と逢ってませんね。

元気ですか?

 

そして、出版に際し、

自分のマークを作りたい

それをど真ん中に据えたい

と考え、

ドクロが王冠、被ってるイラスト、

描いてと頼み

イラストレーターの杉本ゆう子に

作って貰ったのが、

クウィーンスカルです。

杉本ゆう子(杉本祐子)は

同い年の友人でしたが

2011年に癌で早逝しました。

 

帯の推薦文も自分で

戸川純に頼みました。

(最初は一番最初に

お前、澁澤。俺、三島——と

彼女は書いてきたのだけど

話し合ってトルことにした)

 

浮き沈みの激しいこの業界で

未だに自分が生きて、

文章を書いていることは

本当に不思議です。

絶対、40歳まで生きられないと

確信していたのに。

 

書いたものなんて

滅多に読み返しませんし

憶えてすらいないものですが、

『それいぬ』は読みます。

もうこんなこと書けないと思うこと、

今も同じことしか書いてないじゃんと

呆れるセンテンス

——否、自嘲も賞賛もしますまい。

 

現在、去来する想いは

これがまだ

少ない人達だけにでしょうが、

読まれていることの有り難さ。

そして、これからこの本を、

初めて読んで

共感してしまう

新しい読者が出ずることの

嬉しさです。

 

僕は本くらいに

暴力的なものはないと思います。

 

つまらないかどうかは、

読まなければ解らない。

どんなに要領よくしても

ある程度の

時間を費やすを強要する

ものですから。

 

そして一部の書物は

人のコア(核)を破壊し

支配します。

 

昔、僕は

貴方の人生を狂わせてやる

と言いました。

傲慢ですが、

それは、

文章を人に読ませることは

その人の人生を引き受ける

覚悟を持って当然という

ことの裏返しです。

 

恐ろしいなら

発表なぞ

しなくていいのですしね。

 

謝りませんよ。

僕は自分が『それいぬ』に

記した内容に就いて。

 

それのせいで

どれだけの苦悩、過ち、迷惑が

この世界に顕れるのだとしても、

ええ、僕のせいです、

だから、どうしたというのです?

 

今も僕は

貴方の人生を狂わせる為に

書いています。

 

かつて共に戦いし友は

一握りくらいしか

生きてはおらず

未だ戦況は決してよくはない。

しかし、

僕が滅しても

『それいぬ』は残り

新しい所有者達が、

戦いを引き継いでいく。

 

新しい所有者の中には

新しい『それいぬ』を書く者も

現れるかもしれません。

 

只、スタートがテキトー

だったもので

『それいゆ』をもじって

『それいぬ』——

もう一寸、真面目にタイトルを

考えるべきだった。

正しい乙女になるために——

というのもマヌケだなぁ。

そこだけは後悔していますよ。

 

 

追伸

 

だからねぇ、

君の孤独もまた

何かとつながっていて

誰かを安心させたり

奮い立たせたりするんだ。

僕達は今と限られた過去しか

感知出来ませんから、

君が、

遮断されていると思うのは

仕方のないことですが、

君という原因は今も

どこかの場所に

連絡しています。

語らずとも、書かずとも。

つながっている場所は

たった一箇所かもしれませんけれど

それで充分だと僕は思うのです。

 

 

 

嶽本野ばら 2021.09.11