心を壊し

入院するのを余儀なくされた

友人から退院の知らせを受ける。

 

自分の場合は緊急的なものだったけれど

生涯、あすこで暮らさねばならない

人というのも、沢山いてね、

僕のようなものが入院しているのが

申し訳ない気すらしたよ

と、少し照れ臭そうな声で語る。

 

君にも心配をかけた訳だが——

毎日、規則正しい生活で

スポーツやら園芸やらさせられる。

無論、インターネットなどはやれない。

 

 

様子を報告した後、

付け足しのように、

 

「君の本があったんだ。

暇つぶしに読む

3段のカラーボックスに収まる量

しかないから沢山ではないし、

童話だったり芥川だったり目新しいものは

ありはしなかったが、

君のが一冊、置いてあった——

まだ入院中の誰かのものなのか

退院した者が残していったものか

解らないけれど、

君の本を

わざわざ医者が置くとは思えない」

 

と、教えてくれる。

 

京都はそこそこに大きくとも

所詮は地方都市なので

CDショップも書店も規模が

限られています。

ですから僕の本などもう

文庫本すらなかったりします。

それを確かめる時、

もう自分は

過去の作家だと

淋しくなるのですが、

彼の話を聞いて

その想いは消し飛びました。

 

『ミシン』があったのだという。

 

別にマイノリティを気取るつもりはないですが

(出来れば一般受けしたい)

健康な人に医者はいらないと、

聖書にも、あります。

 

役に立つものを書けている

自信などありませんが、

そこにあるのは、

ノーベル文学賞より価値を持つだろう。

 

壊れてしまった心に

気休めでも塗って貰えるならば

アロエ軟膏

それで治せるものなぞ限られていますが

銃で撃たれた身体の穴に

塗ったところで何の解決にも

なりゃしないですが、

ええ、僕はブラックジャックのような

優れた外科医でなくていい

町のヤブ医者であることに誇りを持てます。

 

言葉を大事に扱いたいです。

扱っているつもりです。

差し障りのない言葉で済ませる方が

大勢の人に了承されるのでしょうが、

この怪我はここじゃ治せません

大きな病院に行きなさいといえず

銃で撃たれた人が飛び込んできても

これは万能ですと

名医の貫禄を見繕い

僕はアロエ軟膏を塗ります。

 

アロエ軟膏しか用意がなく、

塗らないよりかは

マシだと思うからです。

 

大量に印刷されたものかも

しれないですが

読まれる時は一対一だ。

文章は、演説ではないから

一人にしか語りかけないし

どんな有能な読み手も二つの文章を

同時に読むことはやれない。

 

アロエ軟膏で治らなくても

大丈夫ですよとその人の手を握る。

時に、治りますよと嘘をいう。

そうすると、本当に治る場合もあって、

あいつはヤブ医者だが

たまに治ることもあるようだと

稼業を続けさせて貰える。

 

かつては僕だって

穴の開いた身体に

アロエ軟膏を塗られたのだ。

そして救命され、生きている。

 

あの時、大病院に運ばれていたら

違う人生になっただろうが

僕は

これはこれでいいのだと思っています。

 

 

2020.11.17