いとうのいぢさんのTwitterをみて

今年、エアコミケとなってしまった

2020GW COMICMARKET CATALOG 98

を買ってしまいました。

 

コミケを応援する為に

使用価値がなくなってしまった

このカタログを購入したのでは

ありません。

 

単にのいぢ先生の表紙の

カタログが欲しかっただけです。

 

 

かつて差別していた二次元の世界に

自身が目覚め、ヲタクがカッコいいと

思ってしまい

ヲタクを目指した時期も

あったけれども

すみません、どーも

僕はやっぱり流行につられただけの

ニワカ者でありました。

 

(だけどそれで『純潔』という

ヲタ民が日本で共産革命を蜂起するという

変な小説を書けた訳ですが……)

 

毎日観ていたハルヒももう観ないし

けいおん!も観ないし

まどマギのトレカも集めないし

幼女を陵辱した挙句、屍体を

山に埋めることも、

やらなくなってしまいました。

 

今、毎日繰り返し観るアニメは

頭文字Dとアカギだけです。

 

なので

今回のエアコミケに就いても

そんなに関心は

ないのです。

 

(スゴいなーとは思います)

 

それでも、ググって出てきた

のいぢ先生のカタログの表紙が

可愛過ぎたので

つい、買ってしまったのです。

 

(それは高橋真琴を起用したというだけで

初めて宝塚特集の

ブルータスを衝動買いした時と同じである。

中を読む気はさらさらなかった)

 

コミケ準備会のまだ3万部余ってます

というお知らせも

笑ってしまいましたし……。

 

二次元の民にはなりませんでしたが

二次元の民の

この準備会のメッセージのような

何処か、ノンシャランな美意識には

今も感服します。

僕もロリータでありますし、

差別されてきた者の逞しさとでも

いいますか、

それへの共鳴が、そうさせるのかも

しれません……。

 

しかしカタログは分厚いし、

今の僕の

狭い部屋では置き場所に困るので

そのうち表紙だけ切り取って

額装して、本体は捨てちまおうかとも

考えます。

 

コロナ禍のことは

自分は特に困っていないので

具体的に余り発言しないように

してきました。

 

5月末に行うことにした

配信朗読会も

高邁な意思があるではなく、

最近に始めた朗読という形態は

練習をサボると下手になるので

そろそろまたやっておいた方が

いいなというだけのこと。

 

「われらに五月を」という

タイトルも

ふと観ると横に寺山修司の本が

あったので

「われに五月を」と掛けてみただけ

浅はかな思いつき

他意もヒラメもありません。

 

ノンシャランな美意識と

書きましたが

どうも僕には

この、久生十蘭に代表される

ノンシャランという

センスがないようです。

ロリータですので

見苦しいくらいにクドく偏執的なことに

惹かれてしまう傾向が、あります。

 

寺山修司に関しましてもね、

本来はそんなに

好きな作家ではないのです。

でも短歌になった時の彼の

限定され洗練された十七音、

三十一文字ですら

爆発する見苦しさ、クドさ——

のようなものには、

ついつい、落涙させられるのです。

 

葱坊主どこをふり向きても故郷

 

この歌が僕は好きですよ。

 

祖国喪失などより、いいかもしれない。

納屋で夜、ツルゲーネフを読み

俺は田舎に住んでいるが

心は誰よか

モダンだ、

知性の刃は洗練されている!

思えども、結局、

葱坊主なんですよ。

ラディゲにはなれないのですよ。

だって青森に

ラディゲがいたとしても、

パリにいるコクトーは、

気付かないじゃないですか。

 

最後に返歌を一つ、二つ——、

 

いとうのいぢどこをふり向きてもハルヒ

(季語はハルヒ——春日で春である)

 

マッチ擦りつかのま燃えあがるロリ服

 身捨つるほどのフリルとリボン

 

2020.05.21 嶽本野ばら