コンビニに行く前に

ディオールの

ファーレンハイトを

手首へ、纏う。

 

誰に逢う訳でもなし

只、

コンビニに行くだけなのだけど

(ジャージにTシャツに

カーディガンという寝起きままの

格好だというのに……)

少しだけ、その香を纏う。

 

たまに、寝る前だったり、

執筆の為、パソコンの

前に座り直す時にも

つけることがあります。

 

これを纏うようになって

もう何年目なのでしょう。

 

小説家になる以前だったから

20年以上前からこればかりだ。

 

香水に熱狂した頃があり、

いろんな香りを

嗅いでみた。

香水にまつわる

書籍も読み漁った。

 

柑橘系の仄かな

香が主流の

時代だったけれども

僕は、

ミツコだとかプアゾンだとか

古臭く、

いかにも香水臭いものが

好きでした。

 

ファーレンハイトは

人気のない銘柄で、

理由は

つけ方が難しいからだそうです。

 

使う人に拠って

ノートが極端に変化するらしい。

 

もしかすると、

香りよかボトル

――コパル(copal)の

塊に似た茶色の――

が気に入っただけかも

しれないのですが、

僕はいつしか

自分の香りを

これに

決めてしまっていました。

 

難しいノートと

いわれるけど

僕にはよく解らない。

 

お世辞かも知れねど

貴方からは

いい匂いがすると

いわれるし

少なくとも

不似合いではないと

思い込むまま今に至ります。

 

右からファーレンハイト/Christian Dior、ランボー詩集/昔の新潮文庫、コパル/ロシア人から買った(以上、私物)

 

ディオールの香水には

どれも買うと変な

(下手な詩のような)

説明書きが

入っていて

ファーレンハイトの場合

ランボーふう

(アルチュールの方である。

ムキムキの方ではない)

に受け取れるのも

長年、連れ添っている由縁

の一つなのですが、

 

キリストが女から

香油を注がれたように

僕は、自分への信仰の証

として

自分にファーレンハイトを

ふりかけるのを

続けているのかもしれない

とも思う。

 

僕は

僕だけは、貴方を――

愛し、擁護し続けますよ――

という

自分への誓い。

 

草木の匂い、

道路の匂い、

人家から漂う夕食、

または、

不安や死臭、

ハーゲンダッツの

バニラの

甘く

エロっちい

脳をとろかす匂い……

 

世界には、行く先々

様々な香りが

溢れているから、

僕は自分を

見失わないように

自分の香りを纏うのだ。

 

どちらかといえば

冬の匂いなのだけれど

春でもこれを

纏うのだ。

 

革命的なTシャツを

作る計画は少しずつ進み、

型紙を写した

シーチングを切り取る

までは進みました。

 

生地で悩みます。

 

シルクを使いたいですが、

時節柄、入手は難しいし

曲げて代用品を選ぼうにも

肝心の

生地屋さんが閉まっている。

 

でも今月には、

こしらえるのだ。

 

無職のようなものだから

時間はいっぱいある。

 

品数は少ないけど

ユザワヤさんは開いている。

 

来週はユザワヤさんに

行きましょう。

ファーレンハイトの

香と共に。

 

シーチング布/ユザワヤ、ガムテープ/ダイソー、マチ針/その辺にあった(以上、株式会社どんぐり)

 

2020.05.01 嶽本野ばら