ネット連載の「ノベルズウォーズ」

のための写真を撮るついでに

モデルのうさくみゃで

全く関係のない

写真を、撮る。

 

今日は、3月11日ですね。

 

震災の時、

僕は東京に棲んでいた訳ですが

1995年の阪神・淡路大震災の頃は

大阪に居住し

編集プロダクションに所属し

ライター業で一応、生業をたてていました。

 

大阪でしたから

かなりの揺れは感じたものの

特に被害にはあいませんでした。

 

未曾有のことでしたので

被害にあっていないとはいえ

どうしていいものやら

まるで解りませんでした。

 

強く今も記憶に

焼き付いているのは

周囲の人間の大方は

どこか浮かれ気分だったと

いうことです。

 

現地に物資を持っていくと

いう口述で、

眉間にシワを寄せつつも

興奮の笑みを隠しきれぬ人達が

物見遊山で震災現場を

見物に行った。

 

とやかく咎めるのは

しやいたしません。

僕がいまだに引っかかって

いるのは、

自分を含む、メディアの

浅ましさです。

 

関西のマスメディア

なんて、小規模ですから

仕事が限られています。

 

阪神・淡路大震災の時、

東京のメディアは

自分達も取材をする一方、

手が足りないので

関西在住のマスコミ関係者

に記事や報告を依頼してきました。

 

メディアはとにかく現状を伝える為の

写真を欲しがりました。

結果、関西に棲む

駆け出し、末端に至るまで

カメラマンが総動員されました。

臨時の仕事が貰え

ですから、カメラマン達は

よろこんだのです。

 

ギャラも、はずんで貰えましたしね。

 

カメラマン程に恩恵はなくとも

震災報道で

関西のマスメディアの人間の

殆どは

幾許か、儲けました。

僕も少しは儲けました。

 

レポーターが足りないから

関西ローカルにしか出られない

タレントが全国放送に顔を出す

ことも、あった。

 

これを機に、名を売ることが

やれるかも……。

 

期待感で

あの頃、関西のメディアの人間は

浮き足立っていました。

 

僕も同じ穴の狢ですが、

これを消化やれぬまま、

今も

文章を書いています。

 

マスメディアの末端で、

生きています。

 

東日本大震災の時だって

何もやらなかったし、

今日だって、

うさくみゃの写真を撮って

遊んでいる。

 

それを悪いことだとも

実は思っちゃいないのです。

 

しかし、仕方がないと

居直る気にもなれないのです。

 

二度、薬物で逮捕されてる

けどしょうがない、

それも含め

この人生、自分のものだし

そこそこ気に入っている

——いえるのですが、

いろんな罪過、性格の悪さ、

卑劣な行為と思想、

だらしなさに関しても

これはこれで、僕だけは

僕を肯定してやろうと

——思うのですが、

 

あの時に感じた

そして折に触れて思い出す

阪神・淡路大震災の時の

気味悪さ、不甲斐なさは

どうしても肯定出来ないのです。

 

物見遊山に出掛けた人の方が

自分よりもマシに、思える。

 

嫌悪感は

さほど関心を抱いておらない

自分の冷淡に向けられた

ものかも

しれません。

 

だから、せめて、

しょうがない——とは

結論付けず、いよう。

 

だって僕はこれに対し

なんら能動的な

行動をとってはいないのだ。

今からでも、否、

10年後ですら、

意見くらい持てるように

なったらば、

しょうがなく、なくなる、

可能性だってある。

 

この世界の

全ての事柄——

物理、構成、何もかも——の

責任は、僕にある。

浮かれた

物資隊を殴りつけなかったのは

僕の責任だ。

 

貴方の厭らしさを

厭らしいと批判するのは

僕が厭らしいからだ。

 

否、そうじゃない。

背負おうと

しているのではない。

僕に分担を与えて欲しいのだ。

 

その場所すら、

僕の一部の

筈なのですよ。

後悔しているのは

僕がそれを

僕のものではない——

無視してしまったからだ。

 

その浅ましさを

僕のものであると

自覚やれたなら

僕は、ようやく気にいるだろう。

 

来年の今日は

もう少しマシになる。

諦めなければ、

絶対に、マシになります。

 

2020.03.11 嶽本野ばら