京セラは社屋の中に美術館を持っていて

余り知られていないのだけれども

ピカソ最晩年のシリーズ版画「347」を

所有している。

 

京都に移り戻ったからには

「347」を観るのだと

思い出したならば、開催スケジュールを

確かめることを約4年間続けてきたのですが

(常設として数枚は、出ているだろうけど

どうせならまとめて全部観たい)

嗚呼、とうとうそれが行われた!

 

一年に一度くらいは

そういうことをしているだろうと

思っていたのですが、ほぼその機会がなく

これは京セラ創立60周年を記念するイベントらしい。

 

パブロ・ピカソ連作銅版画347シリーズ全作品公開

5月18日―6月5日 No.1~No.180

6月8日―6月30日 No.181~No.347

 

 

おお、ヤバいところだ。あと数日、遅かったら

観られなかったではないか!

前半を見逃したのは悔やまれるが、とまれ、

行くのだ! 入場無料? 

なんて太っ腹だい!!!!

 

僕はピカソに関しては無知なのだけど

この「347」が彼の最高傑作だと思っています。

(というか好きなのです)

 

しかしどうもこれは評判が余りよろしくないものらしく

日本にいると殆ど情報が入りません。

ピカソを常に高く評価していた評論家が、

この連作を観て、とうとうピカソもボケた

と嘆いたそうなので、ご察し頂きたい。

 

膨大な作品群を閲覧しながら

僕は、やはりこれがピカソだと思った。

キュビスム、新古典主義など

常に美術の潮流をリードした

偉大なる天才といわれますが

彼にとってそれは絵を描く為の方法に過ぎず

コンセプトではなかった。

如何にすれば思い通り(或いは正しく)

描けるかを追求した結果、それらの技法は生まれた。

(アッサンブラージュにしろ)

 

「347」は版画でありながら

生きてきた中でピカソが編み出した技法を

複数のレイヤーを自在に重ねるようにして

制作されている。

 

単にこの人は

絵が描きたいだけだったのだと

思う。

 

そして、僕はもしかするとピカソは

もっとも不幸な画家であったのかもしれない

とも思いました。

 

若い頃から卓越した技量で、彼は美術シーンの

トップに立った。

特に低迷期などない。

でもキュビスムなどの革新的な技法ばかりに

気をとられ、人々はピカソの絵を頭で理解しようとした。

何が描いてあるのか不明な絵であろうと

ピカソの絵が、タイムラグを生じさせながらも

人々を魅了する結果となるのは

その絵の上手さがずば抜けていたからだろう。

 

「ゲルニカ」は彼の代表作だろうか?

単にキュビスム的なデカい

(そして戦争をテーマにしているのだけはよく解る)

プロパガンダの絵に過ぎないのではないだろうか?

 

「347」に就いて

罵られようとピカソは

やっと描きたいように描くことが

やれるようになった

といっていたと聞く。

 

裸婦、或いは聖書の物語、

或いはギリシア神話、

日常、

様々なアイテムが

恐ろしく正確なデッザンと構図、

技法のミクスチャーで定着させられる。

どの技法が良いかではなく

あらゆる技法が正確さの為に採用されている。

 

一見、ラクガキのようにみえたり

間違ったものを乱暴に消したりしているかにみえるが

無駄な線は一切ない。

一色の銅版という限定の遣り方であるが故、

ドローイングの精度の完全さが

何の障壁もなく伝わってくる。

 

No.297を観よ!

このシンプルながら何も省かれていない線描の完璧は、

クレーですら遠く及ばない。

(観よ!といったけど、観せられない……)

 

何故、評価が低かったのか?

未だに、この連作は

ともすれば、

なかったことにされかけるのか?

 

ここにピカソの力量の全てが注がれていることくらい

嘆いた評論家にしろ、解った筈です。

 

 

でも、そうか……。と、僕は気付く。

 

この大量の作品の約四分の一くらいに

裸婦が登場していて、

オマ@コも描かれているからだ!

 

銅版画だから

すごく単純化されたものとして

女性の股に

その印はあるのですが、ピカソの画力が

ハンパないばかりに、

それがオマ*コであることは

明瞭に解る。

 

緻密に描かれたものは一つもないけれども

それだけを描いているものもないけれども

恐らく、全部に眼を通した時、

人は無意識、オマ*コに眼を遣ってしまう。

従い、オマ▲コだらけの作品集

に思えてしまうのです。

 

評論家の失望は、

ジジイになって只の色ボケ、

ピカソ、単にオマ◉コばっかり描いてしまう。

ということだったのです。

 

この展覧会の開催をみつけた日、

僕は、絶望の奈落に落ちていました。

新刊の再校に於いて、絶対に必要だと言い張ってきて

再三の書き直し要請を却下し続けていた数カ所を

削除しなければならなかった。

削除した作品は、それなりに読めるものだろうけれども

僕にとっては平凡極まりないもので

テーマすら曖昧に思えた。

出来ることなら発売を停止したい。

このような妥協をしてしまったのなら

作家を辞めなければならないと思っていた。

 

ゲラを送り戻した後、眠れず、

出版社に火を付ける計画ばかりを考えていた。

火を付けに行くにしろ、少しだけ冷静に

ならなくては……と思い、僕は

今、身近でやっている展覧会を探そうとした。

一番先に思い出したのが

京セラの「347」だった。

 

吃驚する程に、だから僕は運がいいと思う。

 

何故、このタイミングで「347」を観られるのか?

嗤われるかもしれないけれども

僕は芸術に生まれ、芸術に育てられ、

芸術に生きる力を貰ってきた。

芸術など必要のない人の方が多いだろうけれども

僕にとってそれは世界を生き抜く為の全てであった。

芸術がなければ僕は生きていけない。

自分がそれを作らなくても……。

 

そしてこの度、また芸術に拠って

生きる希望を見出したという訳だ。

ピカソが感じていたであろう無理解に比べ

自分にもたらされている無理解の何と小さきことか!

 

もう提出した再校のゲラに無念は残せども

遺恨はない。自分の作品として引き受けよう。

(まだ念校で揉める気もするが……)

 

ピカソに助けられるとは思いもしなかったよ。

ピカソのオマ∀コに最大の感謝を、する。

 

https://www.kyocera.co.jp/company/csr/facility/museum/collection/picasso/

 

2019.6.30 嶽本野ばら