ボルタンスキー,僕はあなたが存命の 

作家であるをついこの前まで知らなかった.

1990年,まだ大阪で小さな雑貨店を営んでいた

僕を夜行バスを二度乗り継ぎ,

水戸まで向かわせたのはあなたの大規模な

展覧会があるのを知らされたからだ.

 

ボルタンスキー,その時も僕は,

あなたが同じ時間に住むのか,そうでないのか

気にしていなかったように思う.

ただあなたの作品を確かめたかったのだ.

光,トワイライト,静寂,サイレント

虐殺されたユダヤ人の遺影であるかは僕には関係ない.

 

四半世紀後に大阪でだなんて想像だにしなかった.

なかなか足を運べなかったのは,

嬉し過ぎたのだ.

何故なら,この期間は僕が訪れずとも

あなたの作品が確実に,そこに存在するのだろう?

それが一番の喜びなのだ.

 

ボルタンスキー,驚いたんだよ.

初日の2月9日のイベント欄に,

アーティスト・トークと書いてある.

〝講師・クリスチャン・ボルタンスキー(本展出品作家)〟

亡霊を呼ぶ冗談? そしてようやく気付いた.

あなたは同じ時間枠にまだ存在している人なのだとね.

 

知った時にはもう終わっていたけれど,

ボルタンスキー,

特に僕は自分のマヌケさを呪わなかったよ.

あなたがこの世界にいることの事実のほうが,

僕には有益な情報だった.

僕はあなたの作品が好き過ぎるんだ.

 

僕はあなたのことをあまり人に打ち明けない.

訊ねられても一番好きな詩は教えないだろう?

同じようなものさ.

信仰生活のあらましを,これみよがしに

吹聴する人間の信仰なぞ嘘臭いだろう.

神様をみたものは神様の姿を無闇に教えぬものさ.

 

僕はあなたに就いて結局,なにも書けない.

昨日,行ったんだ.国立国際美術館にね.

僕は,会場をゆっくりと泳ぎ回った.

そして二度ほど心臓が止まりそうになった.

その展示がどれだったのかは,

あなたにすら伝えない.

 

だけど器官が停止するかのようなその衝撃が,

僕をこの世界とを合体させるものだったことだけは

話しておこう.

ともすれば僕は.切り離されてしまう.

最初から切り離されたものだと,世界を理解する

しかないことのほうが遥かに多い.

 

光とは僕とあなたを.

僕と世界をつなぐ糸のようなものなのか?

時間とは,切り離すものではなく,

僕とあなたを,同じにする.

為に与えられている道具なのか?

闇や静謐も,また……そして,

 

ボルタンスキー,僕はあなたの名をいつも

記憶の中で繰り返す.

積み重なった無記名の衣服は,

あなたのものでも僕のものでもなく

ましてや着ていたものたちの所有物でもない.

僕らは釘の一本すら持つことが出来ない.

 

それだから僕らは,そこに名前を与える.

6月に東京,10月に

長崎に,この展覧会は巡回するのだ.

構造の事情に拠り展示は変化するだろう.

それは,ボルタンスキー,僕にまだ

後二度,チャンスがあるということだ.

 

僕は行くだろう.大して遠くない場所だ.

僕はあなたが存命の 

作家であるをついこの前まで知らなかった.

1990年,まだ大阪で小さな雑貨店を営んでいた

僕はバスを乗り継ぎ,水戸へ向かった.

ボルタンスキー,あなたの個展があったから…….

 

             2019.03.28 嶽本野ばら

 

コート(Le Manteau)2000

 

『クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime

国立国際美術館(大阪ー5・6)

国立新美術館(東京6・12ー9・2)

長崎県美術館(長崎10・18ー2020・1・5)

 

http://www.nmao.go.jp/index.html