案内状が届いた。

木村蜻蛉氏の個展を開催するという。

場所はライト商會の二階。

 

蜻蛉氏は幻想美術の彫刻家である。

頭蓋骨の後ろに女性器があったり

解体された人体が脚となったテーブルを

拵えたりの作風なので、余り売れていない。

そんな作風で売れる作家も多いが

蜻蛉氏の場合、世間に擦り寄るのが下手なのだろう

売れない彫刻家のままだ。

(この時代、彫刻をやっておること自体、売れる筈もない)

 

 

僕は十代の頃、彼と出逢った。

彼が任されているギャラリーがあって

そこは貸画廊なのだが

蜻蛉氏は貸すことを余りせず

借主のない期間はずっと自分の作品を展示していた。

(貸すのが嫌なのではない。

どうやれば借りる人が沢山集まるのか

彼は考えるのを余りしなかったのだ。

画廊というものは美術雑誌などで紹介され、

それなりの権威を得れば

大枚を叩いてでも借りようとする者も

後を絶たなくなるが

そのような活動が苦手だったのだ。

得意であったなら

画廊でなく己の作品を

抜かりなく売り込んだだろう……)

 

三条という好立地にありながらも

彼のギャラリーは、だからいつも閑散としていた。

偶然、入ってくる者がいたとて、

そのような作品ばっかなので、近寄りがたい。

 

でもベルメールなどのシュルレアリスムへ傾倒していた

当時の僕は、彼の作品を気に入った。

作品同様、風態も多少怖い人であったが、

僕は毎日のように彼のギャラリーを訪れ

だべっていた。

(お金がなかった……という理由もある。

ギャラリーは何時間、居座っていようが只である)

 

そのようするうち、彼を慕ってやってくる人達とも

仲良くなった。

作品は変だが、蜻蛉氏は気難しい人ではなかった。

来る者は拒まず、芸術論なぞ吹っ掛けてはこなかった。

今思えば、公平で寛容ではあるが

必要以上にデリケートでもあったのだろう。

そのようなものを振りかざす厚顔さを持たなかった。

(故人の如く話を進めているが、どっこい、まだ存命である)

 

でももう、かれこれ30年くらいは逢っていない。

僕は大阪でライターの仕事を始めるようになったし

彼はギャラリーのオーナーの都合で

そこを閉めざるを得なくなったもので。

借り手のほぼない画廊を

延々と存続させられる程、世間は優雅ではない。

 

 

個展の会場を訪れると、田中芳照氏がおられた。

 

田中氏は蜻蛉氏の後輩で、とても売れている画家だ。

展覧会は田中氏が企画したのだという。

僕はライト商會が企画したのだと思っていたので

少し驚いた。

(さてここで蜻蛉氏の任されていた

ギャラリーとライト商會の関係に就いて

語っておかねばならない。

当時、今あるライト商會の奥に当たるビルの

引っ込んだ一室に

蜻蛉氏のギャラリーは、あった。

僕が蜻蛉氏のギャラリーに出入りするようになって

暫くして、ライト商會が出来た。

その頃のライト商會は、純粋にアンティークショップで

新参者のライト商會の主人は

すぐに周囲で友人を作れなかったのだろうか

よく自分の店に客がいなくなると

蜻蛉氏のギャラリーに遊びに来た。

蜻蛉氏のギャラリーがなくなった後、

ライト商會は使い手のなかった二階の一室を借りた。

ついでに閉鎖した

ギャラリースペースも借りることとなり

店がつながっていないのは不便なので壁を取り払って

二つの部屋を一つにした。

一階では商品の販売、二階ではカフェをやるなど

しておったライト商會は、現在、一階をカフェにして

その二階は倉庫代わり、申し出があれば催しに貸したり

しておられる。

ライト商會の主人は、大村崑に似ていた)

 

田中氏とは蜻蛉氏の紹介で知り合った。

一度、僕は田中氏の絵のモデルをしたことがる。

女性を描くのが多い田中氏であったが

僕は美少年だったので抜擢された。

 

売れている田中氏は僕に多額のモデル料をくれた。

僕を描いた絵はすぐに売れた。

僕を描いたからではない。

田中氏の絵は男性を描こうが人気なのである。

 

「久し振りですね、今回は蜻蛉さんの作品集を

僕が作ったんですよ。だから展覧会を主催しました」

 

という田中氏に僕は蜻蛉氏の最近を訊ねた。

 

「随分と前から容態が余り良くなくてね。

自宅で療養しておられます。会話などは敵うんですがね」

「案内状には確か、初日には蜻蛉さんも来展と……」

「皆で運んだんです。一人では歩けませんから。

蜻蛉さんの家から車椅子に載って貰って、

そのまま二階まで引き上げました」

 

展覧会のタイトルは

『クトゥルフアート展』である。

「蜻蛉さんが、クトゥルフ

——ラグクラフトを好きだったとは

知りませんでした」

いうと、田中氏は笑った。

 

「ええ、僕も知らなかった。

今回、作品集を作るにあたって

作品のタイトルを調べたら

それらがクトゥルフ神話に登場する

ものなのが解ったんですよ」

 

ギャラリーでだべっていた頃、

少しはそんな話も出たのかもしれないけど

僕は憶えていない。

多分、殆どなかったと、思う。

後輩の田中氏が最近知ったくらいだから、

余り自分からラグクラフトのことは

口にしなかったのだろう。

その作品集と、小さな作品を購入して

僕はライト商會へと下りた。

 

ライト商會でお茶を飲みながら、店主と話す。

 

この店主は大村崑ではない。

大村崑に似た、

僕が知るライト商會の主人の息子さんである。

 

「あすこにギャラリーがあったのは

僕がまだ4歳くらいの頃ですからね。

なんとなくしか……。

でも展示品をね、

父から大事なものだから触っちゃダメだぞと

いわれてたのは憶えています」

 

従って、お前は僕ともその頃に逢っているのだと、

元主人は息子さんに教えているという。

 

「あの画廊はもうなくて、ライト商會はまだあって、

でもそこで今、出迎えて

くれているのは前の店主の息子さんで……。

とても不思議な気持ちです」

 

「そうですね。本当にこの辺りもすっかりと変わりました」

 

この展覧会に新作は出ていない。

患っているのだから、彫刻が作れる訳がない。

見覚えのあるものの方が多い。

その中で個人的にとても懐かしいのは

会場にいたる踊り場に

掛けてあるライト商會の看板だ。

 

ライト商會が店を出して一年くらいした頃だったろうか?

ライト商會(無論、大村崑の方)の主人が

蜻蛉氏に依頼して、作って貰ったものだ。

正直、看板としての出来は良くない。

彫刻家なのだし、看板作りのノウハウはなく

あったとて、作風が看板向きではない。

看板なのに

まるでミケランジェロの地獄門のようである。

 

しかしそれは長い間、ライト商會の看板として

飾られていた。

往来の客の足を止めさすには

不都合なものであるにも関わらず。

 

三条で新しくアンティークショップを開き

そこそこに稼いで、今も店を存続させてるのだから

少なくとも大村崑

(ではなかった——大村崑に似た前の店主)には

商才があった。

 

だから、このような看板を依頼する必要もなければ

掲げる必要もなかったと思うのだが

大村崑は、蜻蛉氏に作って貰った。

 

親しい仲なので

仕事を恵もうという気ではなかっただろう。

かといって

パトロンを気取る傲慢の気紛れでもなかった筈だ。

変なもの作られるだろうな……。

わー、やっぱり変なのだ!

出来上がったものを観て、多少、慌てたかもしれない。

でも推測のみでなく断言可能なのは

(大村崑)が、

芸術家としての木村蜻蛉に尊意を抱いていたことだ。

 

来るものは誰も拒まぬけれど、誰へ迎合することもせぬ

その場所に自分より古くからいた

静かなる隣人の芸術家を

彼は神聖なものと捉えていた。

 

売れず、変なものばっか作っているけれど、

金銭にトレード出来ぬものを

扱う人であることを知っていた。

従い、作って貰ったのだ。

 

看板と称して彼の作品を欲したのだ。

もしかすると彼は、

ギャラリーに展示された作品を購入するのは

商売に長けた自分には

おこがましいと思ったのかもしれない。

ですので、商売に必要と、

商人として相応の依頼をしたのかもしれない。

それが、彼なりの最大のリスペクトの方法だった。

 

展示作品を観せる時、

自身の子供に、触ってはならぬと

戒めたことからも、解る。

 

美しいものを前にすると、人は謙虚になる。

それが出来ないのなら、その人は醜悪だ。

美しいものの前で謙虚となれたなら、

その人もまた少し美しくなる。

芸術というものが

この世界に貢献出来るとすれば、それくらいだ。

 

眼の保養とか心の洗濯……

みたいなものに芸術は使われない。

 

京都へ戻って約2年が、経つ。

僕の知る京都はもうほぼなく、

ここでまだ僕はエトランゼの気分だ。

 

でも、招待状が届き、

僕はまた十代にいた場所へと戻る。

そこにはもう土をこねることが敵わぬ

馴染んだ彫刻家の作品があって、

お茶を出してくれるのは、

4歳の頃に多分、逢っている筈の若い人だ。

 

 

京都という場所は、外の人間に心を開かない。

かつてそこにいようと、去った者には心を閉ざす。

そして、戻ってきたとて

なかなか前のように仲良くはしてくれない。

 

そう、それがこの都の流儀だった。

帰ってきた者を諸手を上げ、歓迎なぞしない。

気位高く、とことん意地が悪い。

 

ようやく、2年をここで過ごし、

ここがゆっくりと僕へ

扉を開き掛けているのだろうか。

ずっと京都におられたかのようです

——いわれるようになる頃、

僕は多分、60を過ぎている。

 

僕が買ったのは、この箸置きサイズの

蜻蛉氏が作品のパーツとして制作したのだろうが

そのまま何体かパーツとして残されたものだ。

まだ10体くらいは残っていた。

(黒くてよく解らないだろうけど隠微な女体のミニ彫刻)

 

 

最後に後、1日しかなく申し訳ないのですが

展覧会の情報を記しておきます。

近くにこられたらお立ち寄り下さい。

(今一度、申し上げるが、蜻蛉氏はまだ存命です。

これは追悼などでは、ない)

 

木村蜻蛉「クトゥルフアート展」

京都市中京区寺町三条下がる一筋目東入ル

ライト商會 2階ギャラリー

TEL 075-211-6635

4月14日~19日 

12時~19時(最終日19日は17時まで)

入場無料

木村蜻蛉作品集「The Collected warks of Akitsu Kimura」

2000円で販売中

 

(会場で仕立てのいいスーツを着た人がいたなら、

それは多分、田中氏)

 

嶽本野ばら