もう、辞めてしまおうと

週に一度くらいは、思う。

書くことを止す気などないけれど

作家に固執する意味もなく、

インターネットで気軽に発表出来る時代だ

趣味で小説を書く人であれば良いのだし

それよか本格的に

どんぐりでネックレスなどを作り

道端で売っていたほうが

健全に、日々が送れそうに、思う。

 

才能があるから

貴方はきっと大丈夫です

いわれる毎に

励まされていると了解しつつも

欠損を指摘された

心持ちになり滅入る。

才能なぞ、少しあれば事足るのだ。

過度の才能は、

生きるのに邪魔でしかない。

 

『TRIPPER』という雑誌が届いた。

昨年に刊行した『落花生』に就いて

——否、僕という作家に就いて

高頭さんが、

文章を寄せてくれていた。

 

 

高頭さんは書店員で

昔、青山ブックセンターにいた。

 

その後、出版不況などの影響もあり

地味な郊外の本屋さんに移ったりしつつ

今は丸善におられるらしい。

 

『それいぬ』からの熱心なシンパで

『ミシン』が出てからは店頭の書棚を

新刊のリリースの度、

一面展開してくれるなど

公私混同の

無茶苦茶な応援をしてくれた。

彼女のおかげで

青山ブックセンターでのサイン会は

待ち時間があっても参加者に

負担が掛からぬよう

一日中、貸し切れる

特設会場を用意して貰うなどの

配慮も頂いたり、もした。

 

高頭さんは

野ばら様と呼ぶ。

洗脳しているようで

どうにも人聞きの悪い呼び方だけど

そう呼びたいというのだから

禁止する筋合いもなく、今に至る。

 

野ばら様は、私がかつて勤めていた書店にとって特別な作家だった。その店は乙女のカリスマ・嶽本野ばらの「聖地」と呼ばれていた。少なくとも、店を作っている私たちはそういうつもりだった。丸一日かかる効率の悪いサイン会を本が出るたびに開催し、

繊細な心をロリータファッションに包んで全国各地からやってくるファンたちが、安心して参加できるよう細心の注意を払った。

(『弱さと傲慢さが曝け出された、美意識の高い文章』

高頭左和子)

 

人は誰もが、自分が誰かにとって

特別な存在であることを望む。

が、特別であり続けることは

結構、困難な作業だ。

だからつい、

最初、困難なのは仕方ないが、

そのうち特別なまま

楽が出来ればいいのになぁと、願う。

サプライズを懸命に

やりあっていた恋人同士はやがて、

そういうのを続けるのは疲れるし

自然体でいるほうがより

高度な関係性でしょうと

レストランの予約を止め、

デートの食事を吉野家で済ますようになり

家にいる時は、

ジャージ姿で平気になる。

 

それでいいのだろうと、思う。

でも、僕の考える特別は、

そのようになってしまうと

なくなってしまう特別だ。

 

「聖地」であった書店は、もう跡形もなく、乙女の矜持を失った私は、容易くいろいろなことを諦める中年になった。それでも、新刊は発売されるたびに購入し、一度目の逮捕の後も時々サイン会に足を運んでいる。以前「聖地」に来ていた読者は徐々に姿を消し、かわりに自分の半分以下の年頃の少女たちがあの頃と同じように切実な表情で順番を待っている。

(『弱さと傲慢さが曝け出された、美意識の高い文章』

高頭左和子)

 

貴方がいなくなったとて

案外と大丈夫なものですよ。

そりゃ、暫くは、

落ち込んだり、混乱するかもしれませんが

そのうちに慣れてしまいます。

特にあの年代の人達はね

熱狂するとボルテージを上げるが

時期が来ればあっさり

興味を失って

次の興味へと移ります。

 

薄情なものです。

 

それよか、

男性や

歳を重ねたお客さんを

大事にすべきです。

そのような人等は、義理堅い。

多少、劣化しようとも

含んだ上でずっと付き合ってくれますからね。

 

——その通りなのだ。

 

ついこの前まで、

貴方の書くものだけが私の救いですと

震えながら泣いていた少女が、

あー、昔はよく読んだけどと、

記憶の彼方と

僕を追いやり

大掃除の際、

箪笥の奥に閉まってあった

ロリ服が見付かると、

よくこんなもの着て

外に出ていたものよ……

感嘆しながら、あっさりと

燃えるゴミとして出してしまうことなぞ

特に諭されなくとも

長年のキャリアから

充分、知っている。

 

それでも僕は

こちらを

向いてくれているのが今だけの

人達へ対してしか、

言葉を投げ掛けられないのだ。

 

今年のお洋服は

どんなにお気に入りでも

来年は着ないように、

僕にとって小説は、

今、必要とする人にしか

価値を与えない。

更にいえば、小説なんてものは、

マッチョな男性や

成熟した大人には無用なものと

思っています。

 

マッチョな男性は

小説なぞという

病弱なものを必要とせず

畑仕事や

柔道をやっていれば良い。

成熟した大人には

俳句をひねったり、将棋をしたり、

茶の湯を極めるような

娯楽が、いくらでも用意されている。

 

小説は、女子供の為にあるのだ。

 

商売の文筆をしていると

若い人は本を読まないし

読もうとしても

本にお金を使わないから、

40代、50代、

それ以上の層に

喜ばれるものを書いて欲しいと、

出版社からよく注文される。

 

でも、僕は嫌なのだ。

もう、お前自身が、

初老だと、指摘されずとも

弁えているけれども

相変わらず、僕にとっての小説は

そういう人達の為のものではない。

 

老いたからこそ

書けるものはあるけれども

だからといって

それは老いた人へ

向けられるものでなくとも

いいではないか。

 

僕が澁澤龍彦を知る頃、

もう彼は50歳を過ぎ

その嗜好は西洋から日本へと

進路を変えられていたけれども

それでも僕にとって

澁澤はスターだった。

年寄りの為の

文学者ではなかった。

 

最近、大江健三郎をよく読むが

還暦に手が届くあたりで

完成させた筈の

『燃えあがる緑の木』の持つ熱量は

青春の荒々しきエネルギーでしかなく

将棋を指す

ついでに読めるような代物ではない。

 

ファンレターだから

これはそのまま

書き写さずにおくけれども

少し前、

このような内容のものを貰った。

 

連載を始めたというので

『実話BUNKA超タブー』を買ってみました。

穢らしい雑誌なので

とても嫌でしたけど

連載が読みたいので買いました。

野ばらさんは

誰に向けてこの連載をしていますか?

もしこの雑誌がターゲットとする

オジサン達の為に

この先、書かれたものだと思うことがあれば

読みたくとも

もう、嫌な思いをしてまで

こんなものを買うことはしないです。

 

媒体に合わせて書く内容や調子は変える。

そしてこのような雑誌は、

執筆する僕も穢らしいと思うので

我慢して買う必要はなく、

どちらかというと

短いエッセイしか書いてないので、

買わない方が賢明と、教えたい。

ながら、質問に応えると、

この雑誌のターゲット層に

おもねるものなぞ僕は書かない。

僕が書くものは

たとえ読まれることがなかろうと、全て、

今は泣いてくれるが、

明日になれば

僕のことなぞけろりと忘れてしまう

薄情な

読者に宛てられている。

 

今、貴方が

僕を神様だと思うなら

僕は神様でいようと思う。

 

後で、騙されていたー! とバレようが

神様の振りを続ける。

 

背中には

ハネが生えているので

空くらいは飛べる。

 

だから騙されていたー! と後で気付く人が

あれは偽の神様ですよと

僕を指さしても

僕が空を飛行しているという事実

——神様であろうがなかろうが——は、

疑う余地が、ない。

 

神様でないが

空を飛んでいるので、鳥なんか?

天使? ドローン? 

何なんだあいつは……? 

 

虫取り網で引っ捕まえ、

その正体を地に下ろし

観察する時、

捕獲者は観るだろう。

 

確かにハネが生えているので

天使というものの一種だろうが

それは無垢なる幼児ではない

髪に白いものも混じり始めた

オッサンの姿であるものを。

 

背中の生えたハネの付け根には、

老いても尚、

羽ばたかねばならぬので、

サロンパスが貼って、ある。

 

確定申告での職種や、

著者プロフェール欄は

役職を、神様だとか

天使だとか記すと

イタい人だと思われるので

作家にしておく。

 

最近、人気も滅法なくなり

様子がしれないけれども

どうなさっているかなぁと

捜してみた時、

かつて神様だと思っていた人が、

どんぐり売りになってるなら

まだしも、

アムウェイの幹部として

洗剤を売りさばいているのも

申し訳ないので、

サロンパスを貼りつつ

空を飛び続ける。

 

そのうちまた

何処か、痩せた

荒涼の小さな土地でいいから

聖地を作る為、

天空から偵察をしている。

 

特別中の特別である為に

この方の前でなら

泣き伏してしまうのは

仕方ないではないかと

諦めるしかない

圧倒的な

例外であり続ける為に、

唯一無比の作品を書く。

 

もう少しだけ、飛んでいよう。

戻ってきたいけれども

戻れない人

もう戻らないと

決めている人にも

空にいれば

遠くからだったとしても、

観て貰える。

 

空を飛行出来ぬ鶏は

鳥の畸形だが

人間でありながら

ハネを有し、空を飛ぶものもまた畸形だ。

 

才能が欠損であるとは、そういうことだ。

 

それでも、空を飛べて

スゴいですねと羨む人には

ええ、スゴいのです——

微笑もう。

 

私もそのようになりたいのです

憧れる人には

いつかなれますと、

その手を握ろう。

 

空へ夢想を

向ける人には、

地にいたくない

事情があるのだろうから。

 

手を握った時、

不思議な刺激臭がと

サロンパスの匂いに気付かれたなら

麝香です

天空を満たす香です

——嘘を、いえばいい。

 

嘘を吐くのが

僕の、

仕事なのですから。

 

 

嶽本野ばら