すみません。余り更新しません。

つい、ツイッターですませてしまいます。

年末年始、また僕の住む渋谷区は公園を封鎖しました。
路上生活者を排除する為です。

その一方、池袋などではボランティアの炊き出しが行われる
というニュースが入ります。

公園は公共のもの。路上の人に只で貸す訳にはいかない。
維持費だってかかるし、出火とかあれば大問題だ
いう人の意見は正当です。

でも仕方なく外で寒い冬を過ごさなければならない人もいます。
もし、貴方がそいつらは怠け者、身から出た錆だと思われるならば
そんな貴方だからこそ、年末年始くらい、その人達に少しの親切を
してもいいのではないでしょうか。
炊き出しの材料を買ってくれずとも
公園や地下道で年越しをすることに少しの間、眼を瞑ってくれればいいのです。

何時もは迷惑な奴等だと思っていても
年末年始くらい、俺はまぁ、お前等と違ってちゃんとしてるし
家に帰れば暖房の部屋でテレビがみれるんだ
お前等に施すつもりはないが、しかし、何だかんだいって一年に
一度のめでたい門出だしな
ま、年が明けるまでは大目にみてやるか
と、考えてくれればそれでよいのです。

自分と関係のない人や自分が嫌いな人に
優しくなんて出来ないけれど
大晦日やお正月くらいはそういう人のことも
ま、いいかと思えるならば
それはなんと素敵な年末年始であることでしょう。

つい、人のことを悪く思ってしまいますが
人のことを悪く思うのは自分にとっても辛いことです。
憎む為には労力がいります。
年末年始は、ぼんやりとしていたいです。
そうするには、ま、いいかと思うのが一番だと思います。

やがて、新年が動きだしたなら
皆、働いたり、学校に行ったりしないとなりません。
そうすれば、また誰かを悪く思ったり
憎んだりしてしまうのです。

だから、年末年始は息抜きで
いろんなことを、ま、いいかと思って過ごすほうが
貴方の為にもよいのです。

この国ではそういうことの為にせっかくある
クリスマスという日を
はしゃいだり、恋人とイルミネーションをみるのに
使ってしまうので
大晦日やお正月にしか、ま、いいかをする
機会がありません。

除夜の鐘は煩悩なぞ消しはしないのです。
ぼーんと百八回、鐘が鳴るうち
いろいろと考えていたこと
こだわっていたことが
ま、いいかとどうでもよくなってしまう。

それは解決策ではないのだけれども
そう思って一時、忘れる日を作った
人の知恵をわざわざ無下にするのは勿体ないです。

最近は無理をしても、人に有り難うというように
心掛けています。
嫌いな人にもいおうと努力します。
こういう仕事をしていると
仕事の為にいいたくないお礼をいわねばならぬ
なんてことがまるでないからです。
謝ることも滅多にない。
いうまでは、いうと損をするような気がしますが
いざいってしまうと、お経でもあげたように
少しいい気分になれます。
そうすると、相手の為ではなく、ああ、自分の為に
いったのだと気付きます。

坊主、坊主、丸坊主。

お坊さんの心持ちになるのも案外いいものです。