僕は京都府宇治市で育った。
中学は、西宇治中学という中学だった。

その中学の横には
ウトロと呼ばれる朝鮮部落があった。

正直、中学生になり(中学は僕の居住地からかなり遠かった)
初めて触れたウトロは恐かった。

まるで戦後すぐの日本のような風景。
バラック小屋が立ち並び
そこで人々は暮らしていた。

中学生活を送り出してから
ウトロのことを徐々に知るようになる。
ウトロの人達は、ちゃんとした仕事に就けない。
就きたくても、朝鮮人だから就けないのだ。

だからウトロから学校に通う者も多くいたが
皆、不良だった。
彼等は、学校を卒業しても
どうせ、ヤクザか、ヤバい仕事
もしくは土方にしかなれないからと
諦めていた。

貧困のバラックから抜け出せない
抜け出せる方法は、法律に違反する仕事しか
ないと諦めていた。

ウトロに棲む不良の中には
どうしようもない奴もいたけれども
いい奴らもいた。

時代は、校内暴力全盛の頃だ。

カツアゲされているところを
お前等、やめとけや
と、ウトロの不良に助けられたこともある。

僕は、思う。

一番、赦されないことは、同じスタートライン
に立たせないシステムだと。

ウトロの人間は、朝鮮の者だというだけで
生まれるなり、日本人と同じスタートラインに
立たせては貰えない。

どんなに才能があろうと、向上心があろうと
日本人と同じスタートラインに立たせて貰えないのだ。

そんな状況で平等なんてあり得るものか。

まだ、そんな状況が根本的に改善がなされてないこと
を知り、僕はいたたまれない。

同級生だったサッカーの上手い金さん
中学生ですでに顔に数針の傷があり
そこいらのヤクザより貫禄のあったヨシやんは
今、どうしているのだろう。

時折、朝鮮学校の生徒が、その制服を
民族主義者によって刃物で切られるというような
事件を聞かされる度、
僕は彼等のことを思い出す。

思い出さずにはいられない。