今度の東京ドーム公演が終わったら
AKBのガチヲタ、辞めますから。

当然のようにいうと
え? と、驚かれた。

無論、きっぱりと辞めるのではない。
これまで通り応援していくし
CDも買うし、AKBカフェにも行くだろう。

今までのように
全てにおいて、AKBが優先する生活を辞めると
いったほうがいいのかもしれない。

「もえいぬ」にも書いたが
僕にとってのAKB48は、最高の泣きゲーなのである。
ゲーム、もしくは物語であるのなら
どこかでエンディングが用意される。

東京ドームはエンディングとして
最初から用意されていた。

つまり
プレイヤーとして
一旦、この公演で、エンドロールをみるのが
適切だと、考えたのだ。
否、それが僕のAKB48の楽しみ方なのである。

ドーム公演を終えてから、
AKBが第二の宝塚歌劇団として
セカンドステージを迎えるのが、僕の
理想なのであるが、まあ、それはどうなるか解らない。
個人的には「桜の園」で
AKB48をマリみて的世界、物語という永遠に
封じ込める作業を終えたので
思い残すことはないというのが正直なところである。

何故にこれほどに熱狂したのか。
それも「もえいぬ」に詳しいが
補足するならば、AKBとは全てのメンバー一人一人が
主役なのである。
その素晴らしさに、やられてしまったのだ。

前田敦子や大島優子らの物語もあるが
同じようにして、内田眞由美や佐藤すみれの物語もある。
名もなき研究生も同様にAKB48としての物語を生きている。

例えば、貴方が小説家だとする。
AKBを小説にして下さいといわれたならば
誰を主役に、誰の目線で、描くだろう?
センターに近い者の物語だろうか?
それとも遠い者の物語だろうか?

もしかすると、裏方の身体の大きなしのぶちゃん
を主役にしたいと思うかもしれない。

野球に喩えるならば、補欠の物語のほうが
エースの物語よりも感情移入出来るかもしれない。

そういったことも含め
全てのメンバーが行き着く物語の到達点に来たので
態度を改めるのである。


いってる意味、解るか?

解んないなら、それでいいけど
そういうことなのである。

無論、ももくろに流れるようなことにはならない筈だ。
なったら、殴ってくれていい。
本格的に今度は、乃木坂に溺れるかもしれない。
これは赦してもらいたい。

何故なら、僕はAKB48という校風が好きだからである。
AKB48のコンセプトが好きだからである。

たかみなが、オリンピックの選手は
総選挙の時の私達以上にプレッシャーを感じた筈
というような発言をし、
そんなもんとオリンピックを比べるんじゃねー
なるお叱りを一部で受けたそうだが

彼女らはそれだから、いいのだ。
遊びに過ぎぬ総選挙で
人生でこれ程の重圧があるのかと追い込まれる。
過呼吸で倒れたり、吐いたりする。

経験のなさの中でマックスに苦悩する。
いわゆる「セカイ系」といわれる概念を
彼女らは生きているのではなかろうか?

僕にはイマイチ、「セカイ系」の解釈が解りかねる
(何故、自分はそこに入れられないのかがフシギなのだ)
のだが、どの「セカイ系」作品より
僕はAKB48をそれと認める。


しかし、まだ足が痛い。
困ったのはお風呂に入れないことだ。
夏なので、少しずつ臭くなっていく自分が、いる。
どうしよう・・・。
この悩みもまた、「セカイ系」なのか?
ドームまでには風呂に入れるようになっていたい。
でないと、ヲタ・スメルが・・・!!

これだから、ナマモノは困る。