こういうタイミングで書くべきなのか
否か、迷うのだけれど、こういうタイミングでもないと
書く事がないだろうとも、思うので書いてみる。

実は僕は癲癇を持っている。
そうそう、症状が出る訳ではない。
忘れた頃に、起きる。
最初、癲癇が起こったのは多分、中一くらいで
二回目は中二くらい。
そしてそのまま暫く起こらず、
二十歳を超えて、突然また癲癇を起こした。

一体、何が自分の身に起こっているのか
まるで解らなかった。
ただ、身体が急に震えだし
頭の中が幾度か、痙攣状態になる。
そして、ヤバい、ヤバいと思っていると
意識がなくなるのである。
身体は、気味悪くバウンドし
悪魔憑きにでもなっているかのようであるらしい。

意識が回復した後
自分がどれだけの間、意識を喪失していたのか
まるで見当がつかない。
ばっさり、もっていかれている。
正直、自分でそのことに一番、恐怖する。

二十代後半、頻繁に痙攣を起こすことがあった。
その時、どういう状況でそうなるのかが少し解った。
疲労、緊張、人混み
大体、この三つが揃い極度になると
僕の場合、癲癇が起こる。
故に、そのどれかの要因を緩和すれば難を逃れる。
緊張や人混みはどうしようもない。
従って、疲労を速攻でどうにかする。
くる。。と、思うと、強力な栄養ドリンクを即座、
薬局を見付け、飲み、道にしゃがみ込み
落ち着くのを待つ。
そうすれば、癲癇を起こさずにすむ場合もある。
そうやって、回避してきた。

無論、無理な場合もある。
最近ではもう数年前になるが
留置所から出てきて五日目くらいだろうか
夜にコンビニでパンを買った後、癲癇を起こした。
栄養ドリンクを飲んだから大丈夫と思ったら
駄目だった。気がつけば、救急車で運ばれ、病院にいた。

スイスの空港につくなり癲癇を起こしたこともある。
この時は流石に、死んでもおかしくなかったなと思い
日本に帰って、精密検査に行った。
随分、いろいろと癲癇を扱う病院で調べたけれど
理由が解らず、脳に異常はないとのことだったので
詮索は打ち切った。
だから症状は癲癇だけれど
癲癇と呼ばれる病には当たらないのかもしれない。
癲癇はランダムとはいえ周期的に発作が起こるので
何年も発作が出ずに、忘れたころにくる僕の病は
癲癇ではないのかもしれない。

但し、現代医学では余り癲癇は解明されていない。
何故、どうして起こるのか、きちんと解っていない。

また癲癇を持つ人による事故が起きた。
運転していた人が発作を起こしたので事故が起きたのかどうか
運転手が死んだ今ではもう知る術はない。
発作のせいだろうか?
不可解な点もある。
癲癇を起こしている間は、本当に意識がないので
何秒間なのか、或いは何分間なのか
まるで不明なのだけれども
身体が硬直する。運転を放棄してしまう。が、その際、
アクセルを踏み続けるという行為に至るだろうか?

よく解らない。只、それでも自分の病を癲癇だと定義すると
癲癇を持つ人は、車の運転をしてはならない
しないで欲しいと願う。
ほんの一瞬でも自分自身が制御不能となるのだ。
それが何時、くるのか予測出来ないのだ。
そういう人は、運転するべきではない。
慎重になり自制するべきだと思う。
運転に限ったことではない。
医療の仕事や、防衛の仕事など
ほんの一瞬の出来事が、人の命に関わる仕事に
就いてはならないと思う。

祇園の事故は
癲癇が原因だとしても、それで癲癇患者に必要以上の偏見が
与えられないようにとする配慮もなされている。
だから、この病を身をもって知る僕は、敢えていう。
不幸ながら起こしてしまう体質の人は運転をするべきではないと。
癲癇の恐さは、一番本人が知っている筈だから。
人も自分も殺めてしまってからでは遅い。
運転しないでくれというのではなく
免許を停止する強攻策に認可する部署は出てもいいのだと思う。