君、君たらざれば、則ち臣、臣たらず

 

政治がゴタゴタすると、この記事を読んでいただく機会が増えるようです。

「君、君たらざれば、則ち臣、臣たらず」で検索される方が多くなるようで)

 

Kindleで出版している「管子」関連書籍の版を一部改めましたので、リンク先を修正して再掲します。

 

ニヤリニヤリニヤリ

 

 総理と官房長官との関係について触れた記事で、この言葉が使われていました。

(2020年4月頃のことです)

 

少し長くなりますが、その後も含めて引用してみます。

 

「(前略) 君、君たらざれば、則ち臣、臣たらず。

父、父たらざれば、則ち子、子たらず。

上、その位を失えば、則ち下、その節を踰(こ)ゆ。上下和せざれば、令乃ち行われず。

衣冠正からざれば、則ち賓者肅(つつ)しまず。

進退に儀無ければ、則ち政令行われず。(後略)」(管子巻第一 形勢第二)

 

概略の意味は次のようになります。

 

「指導者が指導者としての振る舞いを正しくなさなければ、それに仕えている人たちは、やるべき役目を果たさなくなる。

父親が父親としての振る舞いを正しくなさなければ、子もその父を尊敬し従うということをしなくなる。

上に立つものが、人々に正しい行いを示し、尊敬されるということが無くなれば、それを見ている人たちの行いは乱れたものになる。

導くものと従うものがお互いを認め合わなければ、それぞれの立場での役目を果たそうとする人がいなくなる。

主人の身なりがきちんとしていなければ、客を接待する役のものも、その振る舞いがいい加減なものになる。

従う人たちの評価が納得されるものでなければ、どのような政治的な指示を出そうと、それは行われない」

 

今の状況で、この言葉がネット上に見られるということの、意味していることはかなり明らかでしょう。

ちなみに「管子」という書物は、管仲という中国春秋時代の名宰相の名の下に、いくつかの文章を集めたものです。

今回引用した文章は以下の「覇王の佐」とその他の「管子」関連書籍で確認できます。

管子の言葉の真意がご理解いただけると思います。

 

 

暖淡堂書房の本

 

 

 

 

 

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