こんにちは、暖淡堂です。
Kindleで電子書籍として販売している現代訳「菅子四篇」から、冒頭部分を紹介します。
心は身体の中にあって、身体を治める役割を担っている。それは君主が国を治めているようなものだ。身体にある目や耳、鼻などの外に向かって開いている九つの穴には、それぞれの役割がある。それは官吏が自らの職分を守って働いているようなものだ。
心が道に従うあり方をしていれば、九つの穴はその本来の理に従って正しく働く。心に、見たい、聞きたい、という欲望が過剰に満ち溢れたならば、目は物事をあるがままに見ず、耳は言葉をそのままには聞かなくなってしまう。
だから、治める役割を担ったものが、あるべきあり方をしていなければ、それに治められているものも、それぞれの役割を果たせなくなってしまうのだ。
管子心術上の最初の部分の現代語訳です。
九つの穴、とは
管子原文では九竅と書かれているものです。
これは人間の身体に空いている九つの穴のこと。
目とか鼻とか耳とか、ですね。
つまりは身体が外部とやり取りをするための器官のこと。
これにはそれぞれの役割がある。
そのように最初の段落では言っています。
心が道に従うあり方、とは
ことさらな、余計なことはしない、と、心術の後の部分で書かれています。
そのようなあり方が、道に従ったあり方。
自分の欲望に動かされて、もっとよく知りたい、とか、見たい、聞きたいと思って、より多くのものを手に入れようとすると、からだの器官(目、耳、鼻、など)は正常に機能しなくなってしまいます。
そんなことは無駄だからするな、ということですね。
治める役割を担ったもの、治められているもの
この部分は、例えば政治家と役人、国家と国民、のような関係で理解することができます。
会社であれば、経営者と社員、のような。
治める役割を担ったものが、果たすべき役割を果たさない。
そうすると、治められている立場の人たちは、どのように振る舞ったらいいかわからなくなる。
きちんとした指示がこない。
あるいは指示はくるが、指示と指示の間に大きな矛盾がある。
そんな場合には、指示を受けた人は、指示をした人の言動を見たりしますね。
そして、その人と同じようにすると、とりあえずは叱られないかな、と思ったり。
それが、この世の中の乱れの、かなりの部分の原因のような気がします。
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こんな感じのことを「管子心術上」の冒頭で説明しています。
古典ではありますが、内容はわかりやすいです。
特に、現代の日々を暮らす私たちにとって、結構身につまされる内容になっていたりします。
初めの部分を少し読むだけで、現代の社会がツッコミどころ満載であることが、すぐにわかりますね。
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暖淡堂書房の書籍「菅子四篇」その他を紹介します。
「現代訳管子四篇:黄老思想の源流」が、今般データの更新を行ったものになります。
本文を読み易くなるように、解きほぐしてみました。
試し読みもできますので、内容をご確認いただけますと幸いです。
2000年以上前に書かれた文章ですが、現代社会に対して感じるモヤモヤの原因を読み解くヒントが、山のように盛り込まれています。