寂しさという小石を、ポケットにしのばせて。
寒い一日。
しまい込んだはずの長袖ヒー○テックを引っぱり出し、
ついでにレインコートまで羽織って、新幹線に揺られる。
座席に深く沈みながら、ふと、こんなことを思う。
──寂しさ。
私たちは、
誰かを寂しがらせたくなくて、
あるいは、寂しさを与えてしまったことへの後ろめたさで、
モノで埋めようとすることがある。
それは、相手のためのようでいて、
実のところ、自分のための「取り繕い」なのかもしれない。
また、自分の中の寂しさを「誤魔化す」ために、
あるいは、それを認めたくなくて、
気づけば、何かを買い、積み、囲っている。
この二か月。
思いがけない「離れ」と、覚悟の「離れ」。
祝福であったり、落胆であったり──
いくつかの人間関係の変化を経験して。
それらは、確かに清々しくもありましたが、
やはり、どこか寂しさが伴っていたのだと、
今になって、ようやく感じ始めている。
けれど、不思議と心はざわついてはいなく、
静けさの中にあるよう。
「その魂の課題は、その魂の自由意思に委ねる」
──そう、自分に言い聞かせながら。
まだ少し、未練もあるような、ないような。
けれど、「あきらめなければならない」ことがある。
そのことだけは、どうやら確かで。
はい、今宵も訳のわからない公開ひとり言。
失礼いたしました。
おやすみなさいませ。
“Each soul must walk its own path.”
Yes, perhaps I haven’t fully surrendered.
But I now know:
there are things we must let go of.
Even if we don’t yet know how.




