罪悪感、そう、後ろめたさ。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

罪悪感、そう、後ろめたさ。

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◆今日の断捨離
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ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。

6月の半ば過ぎ。

梅雨という鬱陶しいお天気に
付き合わなくてはならない頃。

そうですね、
大気がそんな有様であるならば、
なおのこと。

ぜひとも、居住空間は
スッキリ爽やかにしておきたいものですよ。

自分で自分の居住空間を変えることは
いくらでもできますからね。

そう、お天気は変えられないけれど。

けれど、とは言うものの、
私たちにとっては、相変わらず、
片づけはハードルの高いものとして
立ちはだかっているよう。

どういうわけか、ね。

なので、あらためて、
そこに触れておきましょうか。

まずは、面倒くさい。
つぎに、もったいない。
そして、心許ない。


ひとつめ、
片づけを面倒くさいと感じるのは、
ひとえに、モノが多すぎるからで。

多すぎるモノを目の前にした時、
私たちの頭は、望む結果
<つまり、スッキリとした部屋>
を得るには
大変な時間と労力がいると判断する。

簡単には得られない結果に取り組むことに
心が抵抗するのは、無理もないこと。

それが、面倒くさいということ。
どうせ、思うように片づくわけもないのに
やってられるか!

という反応なのですね。


ふたつめ、
モノを捨てるのを
もったいないと感じるのは、
当たり前といえば当たり前で。

だって、使おうと思えば使える物ばかり!
だって、着ようと思えば着られる服ばかり!
だって、読もうと思えば読める本ばかり!

すでに、使う気も、着る気も、読む気も
とっくに失っているにもかかわらず。

頭の中で、それらの「使用の可能性」を
いくらでも捏造するのです。


みっつめ、
心許ないのは、捨てることによって
モノが目の前から消えていく寂しさ。

これまでの自分の生活の証拠品
これまでの自分の人生の証明品

過去の証拠を無くしていくこと、
過去の証明を失っていくことほど、
切ないことはないのです。

けれど、実態は、
それら証拠品は生活の残骸であり、
それら証明品は人生の残骸に
成り果てて放置している。


そして、
面倒くさい、もったいない、心許ない、
この3つの思いの下に隠れている深層心理は、
これ。
 
罪悪感、そう、後ろめたさ。

そのモノを最後まで役立たせることが
出来ていない後ろめたさ。
そのモノの命をまっとうさせることが
出来ていない後ろめたさ。

この後ろめたさ、
自分で自分の「非」を認めるのが
一番難しい。

だから、
そのモノたちを取り置いたままにすることを
無意識に選ぶのですね。

断捨離は、
この後ろめたさを引き受けながら
前に進んでいくこと。

たしかに、これはとても難しい課題。

私自身も、今持ってこの課題の厄介さに
直面している毎日。

けれど、
この難しさをひとつひとつ乗り越えた先に、
自分の人生に新たな展開が必ずやってくる。

そんな経験を重ねてきたからこそ、
断捨離に飽きることなく
勤しんでいるのですね。

なにより、
自分を包んでくれている空間が美しいのは
嬉しいことだから。

 

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問題解決思考とその行動。

どうぞ、日常の生活時間で、
日常の生活空間で、
断捨離に励んで下さいますように。

そう、あなたが、
あなた自身の気力、体力、知力を
より充実させていくために。

 

有難うございます。


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