だからなのか、そう、 この心許なさのせいなのか | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

だからなのか、そう、 この心許なさのせいなのか

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。





いつのまにか、5月も半ばとなり。

なんと、しまったと思うことは、これ。

ああ、山菜天ぷらを食べそこなった!

そうですね、
私はグルメ嗜好ではないけれど、
食いしん坊であることはたしか。

なかでも、春の芽吹きの季節の
「里山の幸」が、
ことのほか愉しみなのですね。

そういえば、今年は、
一番にお目見えするはずの蕗のとう、
そう、この大好物から逃してしまっている。
なんとも口惜しいこと。

白状すれば、年齢が重なるにつれて、

あと、何回、
桜を見ることができるかしら?

あと、何回、
タラの芽を食べられるかしら?

と、自分のこれからの先のことを
心許(こころもと)なく感じるもので。

この心情、
若い時には感じもしなかっただろうに。

人生100年時代と
いくら喧伝されたとしても、
今まで生きた年数を
指を折って数えてみるのと、
これから先、生きるだろう年数の
指の数とは大きな差があるのです。

だからなのか、そう、
この心許なさのせいなのか、

年を経れば経るほどに、
人はモノを溜め込むことになる。

自分が「生きてきた証し」
としてのモノたち。

そのモノたちが目の前から消えてしまえば、
自分の「人生の軌跡」を
いったいどうやって証明するのだろう…

そのモノたちを捨ててしまえば、
自分の「人生の記憶」は
いったいどこに保存するのだろう…

だって、これから先は、
これらの自分の「人生の証拠品」を
得る機会はそんなにもやってこないだろう…

と、
そんなふうに思っているのではないか、と。

まあ、以上は私なりの勝手な推測であり考察。

でも、これは、あながち間違いではないはず。

そうでなければ、
高齢者がモノを溜め込みつづけ、
しかも、その溜め込んだモノたちは、
今の自分にまったく意味のない
「生活の残骸」でしかないにもかかわらず
決して始末をつようとはしないことへの
説明がつかない。


残念ながらと言うべきか、
有り難いと言うべきか、
私が執着するものは、
満開の桜、山菜の天ぷらという「消え物」。

だから、私の居住空間に堆積する
邪魔な存在となることはなく。

それに、自分が「生きた証し」などに、
まったくと言っていいほど興味はないので。
<いえ、少しはあるかしらね!?>

それよりも、今!
それよりも、ここ!

今の私が、今ここで、
いかにして快適空間で過ごすか、
そのことの方に強い関心がある。

多くの高齢者たちが、

今の快適空間よりも、
生活の残骸に固着する事実。

過去の遺物と引き換えに、
今の快適空間を失っている現状。

私は、これが残念で残念でたまらないのです。

 

 

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有難うございます。


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