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だからなのか、 私も「気まぐれ」でありたいと 思うのだけど。
ごきげんさまです。 断捨離のやましたひでこです。
写真は、もう、何年前になるのか、
ペルーの北部遺跡を訪れた時のもの。
8月7日、月曜日 <旧暦水無月二十一日> 明日、8月8日は二十四節気「立秋」 だけど、 このところの暑さは半端なく、 どんなに暑中のお見舞いを 申し上げて切りがなくらいで。 立秋以降の「残暑」のお見舞いも 白々しいものになってしまいそう。 そして、 予想のつかない進路をたどる 台風6号の影響もあって、 仕事、休暇の予定もどうにも定まらない。 まあ、お天気の文句をつけても致し方なく。 天気、即ち、「天」の「気」の 「気まぐれレベル」は圧倒的で、 私たち人間が太刀打ちできるものでは ありません。 だからなのか、 私も「気まぐれ」でありたいと 思うのだけど。 いえ、 もともと「気まぐれ」な性分だけど、 そんなこと許されない社会に 生きている訳で。 そう、 ころころと変わる気分を振り撒いていたら、 周りはどんなにか迷惑を被るだろうし。 それによって、 どんな批判を受けるかもしれないから。 そうか、それでも、白状すれば、 気まぐれへの憧れは強いですね。 気に入ったモノは、 なんとしても手に入れて、 気に入らなくなったら、 さっさと捨てる。 したいと感じたコトは、 すぐにでも手を染めて、 飽きたら、さっさとやめる。 好きになったヒトは、 なんとしでも自分に振り向かせ、 嫌いになったら、さっさと別れる。 ああ、このような振る舞いは、 奔放 我儘 と受け取られるのがたいてい。 気持ちのままに振る舞い、 思い通りに生きる。 気持ちを抑えて振る舞い、 責任を果たして生きる。 さぁて、私は、これから どっちを選んでいくのだろう。 そうですね、私のような年齢になると、 やはり、この先の生きられる年数を どうしても意識してしまうもの。 だから、残りの人生、 我儘となんと言われようが、 ころころと変わる気分のまま振る舞い、 無責任と言われようが好きなように 生きたいたとは思うのだけど。 あら、もしかして認知症とは、 そういうこと? 我慢も責任も放棄した状態? まぁ、私の人生の終末期を 認知症と共に過ごすのも、 いかがなものか。 それでも、 自由奔放な生き方への憧れは、 私に限らず誰にでもあると思うのだけど。 だからこそ、今、思うことはこれ。 自由奔放に生きている人の批判者、 攻撃者にだけは決してなりたくないと。 なぜなら、それは、 自分がやりたくても出来ないことを やってのけている人への嫉妬が 姿を変えているだけのことだから。 どうでしょう、そう思いませんか。 そうですね、私、 断捨離のやましたひでこが目指す生き方は、 自由自在 まだまだ、実現には程遠いけれど、 けっして、自由奔放ではないことは 確かなよう。
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断捨離とは空間の調律!
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どうか美しい調べに満ちた空間でありますように。
やましたひでこ
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