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まあね、当分、その名前を明かすことはなさそうだけど。
井上弘美先生と。
仲良しの薫さんも一緒に。
井上弘美先生は私の俳句の師。
薫さんは俳句のお仲間。
このコロナ自粛禍でとっても悲しかったことの一つが、
弘美先生にまったくお目にかかれなかったこと。
私ね、俳句は大好きだけれど、
自分でつくるなんてことは出来ず。
先生について叱られながら?でないとつくれない。
というわけで、この三年間はご無沙汰。
やり直さねば…
こちらは、四年前、
NHKテレビの俳句番組に出させていただいた時のブログ
その時に披露させていただいたやましたひでこの句。
テレビにはいろいろ出演したけれど、
この番組に出られたのがとてもとても嬉しかったのを覚えている。
でもって、俳句と断捨離と私について、あらためて語ると以下のごとく。
物は今の私を映し出し、
空間は今の自分を物語る。
断捨離を追求していると、必ず、この思いに辿りつく。
そうですね、幾度も幾度も、これを思い知らされる場面を経験することになる。
どんなに言葉で取り繕おうとも、
どんなに言葉で誤魔化そうとも、
どんなに言葉で飾り立てとうとも、
目の前のモノたち、そして、そのモノたちがある自身の空間は、
わたし自身の、
あなた自身の、
嘘偽りのない今の姿をさらけ出し、
さらに、さらに饒舌に語ってくれる。
だから、私は、モノを見て、そして、空間を眺めて、その人の心にアクセスしていく。
そう、もしも、目の前のその人が私に心の思いを打ち明けようとするならば。
そして、そんな断捨離を文芸にしたならば、
間違いなく「俳句」になると。
私は、それを一瞬にして悟ったような。
ああ、激しいこの思い込み…
やましたひでこ
だって、俳句とは、
限られた文字数<すなわち、限られた空間>の中で、
言葉<すなわち、モノ>を選び抜き、
余計な言葉<すなわち、余計なモノ>を削ぎ落とし。
選んだ言葉<すなわち、モノ>をどう配置するかで、
作品<すなわち、居住空間>が秀逸なそれに生まれ変わる。
その時に、どうしても弘美先生の添削が絶対にいるわけで。
<すなわち、断捨離現場ではやましたひでこ>
どうです、まさに、俳句とは断捨離でしょう?
さてさて、このたび、私は弘美先生から、
俳句の名前<俳号>をいただいて。
あわわ、まったくのドシロウト俳人なのにね。
曰く、カタチから入る…
ああ、これも断捨離チックだわ、と思うのは私だけ?
まあね、当分、その俳号を明かすことはなさそうだけど。
うん、激しく当分ね…
お粗末さまです。
やましたひでこの本、
またまた、またまたの、
とっても嬉しい重版決定です。
断捨離とは空間の調律!
住まいはあなたの人生舞台、
どうか美しい調べに満ちた空間でありますように。
やましたひでこ
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