自分で自分を快適な空間から遠ざけている人たち。
どうしてなんだろう?
と考えても、
まったく意味をなさないのだけれど。
どうしてなんだろう?
と、やはり思ってしまう。
素敵な標語<断捨離現場宅にて>
けれど、淀み荒んだ居住空間では、
これは難しい。
というか無理でしょうね。
「片づかない」と嘆き、
「片づけられない」と悩み。
「捨てられない」と悶々とし、
「どこから手をつけていいかわからない」と訴える。
そして。
自分の居住空間を、
自分の大切な部屋を、
「モノ置き」どころか、
「ゴミ集積場」のごとくに仕立て上げて、
家の狭さを嘆く。
自分自身を、
家族皆んなを、
不要となったモノのために、
始末を付けなかったモノのために、
窮屈に追いやり、
イライラとさせ、
悶々とさせている。
そう、毎日毎日、いつもいつも。
それでいて、
どうして、自分は運がちっとも良くないのだろう。
どうして、自分はお金がいつも足りないのだろう。
どうして、自分は夫婦仲良く暮らせないのだろう。
と、訝り続ける。
余計なモノを捨てる。
要らなくなったモノを捨てる。
ただそれだけで、
ほとんどの問題は、
解決に向かっていくのに。
それを、
知らないのか、
分かっていないのか、
それとも、
したくないのか、
出来ないからなのか。
捨てる
こんな簡単なことを、
こんな単純なことを、
人は、どうしてしないのか。
断捨離のやましたひでこが、
そこはとなく抱える疑問。
いえ、大きな疑問なんですね。
なぜなら、あまりに残念な現場に、
なぜなら、あまりに悲惨な空間に、
いつもいつも遭遇しているから。
そう、自分で自分を、
快適な空間から遠ざけている人たちが、
あまりにもたくさんいるのです。