もたらされる、それも思った以上に、思いも寄らないカタチで。
生来はナマケモノであるはずなのに。
生来は飽き性であるはずなのに。
ブログだけは、
怠ることなく書き続けて、
いったい何年になることか。
記録派ではないので、
正確にはわからないけれどね。
そうしたら、こんなお知らせ。
7,000件投稿達成!
ああ、そうなんだ。
それとなく小さなケーキで祝う。
今となっては、この7,000件の数字が、
大きいとはまったく思いもしない。
たたただ書いてきた結果であり、
これもひとつの通過点に過ぎなくて。
それに、このアメブロに引越してくる何年も前から、
ブログは毎日毎日書いていて。
その他にもメルマガの記事もずっと書いているから。
書いて、書いて、書いて、
書き続けてきたことは間違いなく。
おそらく、ゆうに10,000以上の投稿はしていると。
なぜなら、
私の断捨離を知ってもらおうと思った時、
私の断捨離を伝えようと決めた時、
目の前にあるその手段はブログしかなかったから。
そして、そうやって書いてきたから、
本の出版ともご縁ができて、
いつの間にかミリオンセラー作家の舞台に。
だけど、作家を志望したことはなく。
随筆家、エッセイストなんて肩書きには、
とても憧れはあるけれど。
そう、私は書くことで、
そう、私は書き続けることで、
自分の人生が展開してきた。
それも思わぬ舞台に。
だからと言って、
書き続けること、
即ち、
人生の展開
と言うつもりもない。
それでも思うことはこれ。
書く、それはとりもなさず、出すということ。
思いを出す
気持ちを出す
本音をだす
そして、出したからこそ、
入ってくるものを手にすることができる。
握りしめている手のひらには、
何も載りようがないですものね。
それも、獲得、
つまり、掴み取るとは違って、
もたらされる…
そんなふうに。
しかも、思った以上に、
しかも、思いもよらないカタチで。
そうですね、
断捨離の「捨」とは「出す」。
出すことによって、
出し続けることによって、
勝手に入ってくるモノ、
もっと手することになるコト、
さらにもたらされるヒト、
いっぱいあるのです。