出口を前にして、 落とし穴に足を取られてしまったのだ。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

出口を前にして、 落とし穴に足を取られてしまったのだ。


おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。

 

 

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3月28日、月曜日。
<旧暦如月26日>

驚いたことに、
3月も余すところ後3日。

いったい今月は
何をしていたのだろうかと思うくらい、
目まぐるしい日々が続いた。

それは、まるで、
2年にわたるコロナ自粛禍という
長いトンネルを抜けるいよいよ最終段階
となって、お試しが入ったかのごとく
紆余曲折だらけのひと月間。

出口を目前にして、トンネルは
急に細く狭く曲がりくねってしまい、
壁にぶつかり、足をとられて、
かろうじて出口に辿りついたような感覚。

それでも、トンネルは抜けた!

それを喜ぼう。

けれど、とても残念なことに、
このトンネルを一緒に
抜けらなかった人たちもいる。

出口を前にして、
迷路に嵌(はま)ってしまったのだ。

出口を前にして、
落とし穴に足を取られてしまったのだ。

出口を前にして、
力を失いうずくまってしまったのだ。

もちろん、以上は、比喩的な表現。

つまり、断捨離すべき人間関係に
未練を残してしまって。

つまり、断捨離されても仕方のない
墓穴を自らが掘って。

つまり、断捨離せずに抱え込んだ
人間関係に圧迫を受け。

出口が見えずに立ちすくんでいるのです。
出口が見えても足踏み状態でいるのです。

つくづくと思う。

これからの時代は、以前にまして
身軽でいないと生き辛くなるだろうと。

モノを止め置いて。
モノを抱え込んで。
モノを溜め込んで。

そう、大量なモノは、
私たちを、物理的にも心理的にも、
身動きを取れなくしてしまう力を持っている。

そう、私たちは、モノによって励まされ、
力を与えられもするけれど、
それが過剰になると、一転、
真逆の作用を受けることになるのです。

おわかりですよね、それは、
モノに限ったことではなく、
コトであったり、
ヒトであったりしても同じこと。

いえいえ、そうではなくて。

余計なモノを
たくさん溜め込んでしまうということは、
すなわち、たくさんの煩わしい物事を
抱え込んでしまうことでもあり。

そして、忌まわしい人間関係の中に
自分をずっと押し止めることになる。

なぜなら、それらは、
自分自身の意識がなせるわざだから。

とはいえ、トンネル抜けたはずの
私たちの目の前に広がる草原にも、
いったい何が潜んでいるかは分からない。

どうやら、そこに平穏や安穏だけが
待ってくれているだけではなさそうですね。

自然災害もあれば、
国際紛争侵略もあれば、
経済危機だってあるし、
ライフラインの供給逼迫(ひっぱく)も
待っているかもしれない。

だからこそ、身軽に。

いつだって方向転換できるように、
どこででも軌道修正できるように、
いつでもどこでも自由に移動、
自在に行動を起こせるように。

住まいも、身体も、意識も、
断捨離でいつも軽やかにしておこうか。

そうれば、どんな状況でいようとも、
どんな情況になろうとも、
自分の人生を果敢に
進んでいくことができるはず。

どうでしょう、そうは思いませんか。


What’s danshari ?  Let’s danshari !  Viva danshari ♪

 

 

 

 

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