郷愁と変化のせめぎ合い。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

郷愁と変化のせめぎ合い。

おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。




変化する視力に対応中…眼鏡選び



11月8日、月曜日
<旧暦神無月四日>

昨日、立冬。
冬の始まり。

そうか、冬を迎えることの愉しみ。

いったい何だろう?

一番に思い浮かぶのは、炬燵(こたつ)!

けれど、実は、
炬燵を私の暮らしから断捨離して、
もう何十年も経っている。

おそらく40年以上か。

この炬燵を囲んでの団欒は、
とっても郷愁(きょうしゅう)があるのだけど。

足を温めていたはずなのに、
いつのまにか腰までとなり、
挙句の果てには首まで潜り
眠り込んでいる。

それに、炬燵があるばかり、
床面の掃除が行き届かなくなる。

ホコリや汚れが溜まるままに。

そう、怠け者の自分が、
そう、面倒くさがりの自分が、

呼び起こされて、
目覚めて、
蠢きはじめる。

それが、炬燵が持つ私にとっての負の側面。

でも、決して、炬燵に罪がある訳ではなく、
どこまでも、かつての「私と炬燵の関係」が、
このようなものであったということ。

さてさて、
ライフスタイルの変化は目覚ましく、
昭和の暮らしには必需品であったはずの炬燵が、
今、どれほどまでに家庭で用いられているのか
知るよしもないけれど。

もしかして、絶滅危惧種品?

なのに、なぜ、
こんな記事を綴っているかといえば。

断捨離のTVロケで伺った70代の独居暮らしの
女性のお宅で、脚が折れたままの炬燵を
部屋の隅のモノの山の中で発見したから。

いったい、どのくらいの期間、
そこに放置され続けているのだろう?

おそらく、30年以上?

だとしたら、この女性宅の空間は30年
時間が止まったまま。

そう思わざるをえない有様は、その炬燵に
限らず、そこかしこに過去の生活の残骸が
堆積していた。

変化に対応していない、できない生活。
変化に対応していない、できない身体。
変化に対応していない、できない意識。

それが、人生の差となっていることに、
大きな違いとなっていることに、
私たちは、どうやら気づかないようですね。

ああ、あまりにも。

What’s danshari ?  Let’s danshari !  Viva danshari ♪

 

 

 

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