自分自身が、「ふさわしくない」と相手から判断された時。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

自分自身が、「ふさわしくない」と相手から判断された時。

なぜ、アメブロは、

 

今の私に、

 

三年前の記事を編集フィードにアップしてくるのだろうね。

 

<いつもは、1年前の今日の日付の記事なのに>

 

 

 

 

えっ、もしかして、三年前、2017年9月11日の私は、まさに、このコロナ禍、今の私の心境を予想していたということ?

 

 

 

 

 
さてさて、つらつらと考えた。
 
 
恋い焦がれた恋人にだって、心変わりがやってくることも。
 
将来を嘱望されたエリート社員だって、リストラの対象となることも。
 
幸せになりますと結婚したカップルでも、すぐさま離婚となることも。
 
長年連れ添った夫婦が、熟年離婚を辿ることも。
 
 
失恋
リストラ
離婚
 
そして、また、
 
恋愛
再就職、独立起業
再婚
 
 
人間関係と人生、いろいろ。
 
 
 
要るモノはいる。
要らないモノは要らない。
これはシンプルな事実。
 
問題なのはこれ。
 
要るモノだったモノが、
要らなくなったモノになった時。
 
要るモノはいる。
要らなくなったモノは要らない。
 
けれど、このシンプルな事実は、
なかなか受け入れることは難しいよう。
 
そうですね、
時間の経過によって、関係が変わることを、私たちは、
 
気づかない。
知らない。
 
気づかないふりをする。
知らないように振る舞う。
 
関係が変わったことを、
関係が終わってしまったことを、
 
いかに素直に潔く受け入れるか。
 
その素直と潔さがないばかりに、
私たちは、ずっと、要らなくなったモノたちを、
 
留めおき
抱え込み
溜め込んで
 
しまうのです。
 
そして、生活も人生までをも淀ませてしまうのでしょうね。
 
 
 
さあて、この「モノ」を「ヒト」に置き換えて読むと、私たちは、どんな気持ちになるのかしら。
 
とても、いたたまれない気持ちになるでしょうね、きっと。
 
 
もちろん、
 
捨てる側、捨てたいと願っている側、
捨てられる側、捨てられたくないと願っている側、
 
そのどちらの側にいるかで、心情は大きく違ってくるだろうけれど。
 
でもって、こんなふうに書き換えて見ると、どうなるか。
 
 
 
ふさわしいはふさわしい。
ふさわしくないはふさわしくない。
これはシンプルな事実。
 
問題なのはこれ。
 
ふさわしいだったが、
ふさわしくなくなった人になった時。
 
ふさわしいはふさわしい。
ふさわしくなくなった人はふさわしくない。
 
けれど、このシンプルな事実は、
なかなか受け入れることは難しいよう。
 
そうですね、
時間の経過によって、関係が変わることを、私たちは、
 
気づかない。
知らない。
 
気づかないふりをする。
知らないように振る舞う。
 
関係が変わったことを、
関係が終わってしまったことを、
 
いかに素直に潔く受け入れるか。
 
その素直と潔さがないばかりに、
私たちは、ずっと、ふさわしくなくなったたちを、
 
留めおき
抱え込み
溜め込んで
 
しまうのです。
 
そして、生活も人生までをも淀ませてしまうのでしょうね。
 
 
と、ここまで反芻して、さらに思うこと。
 
自分自身が、「ふさわしくない」と、
 
相手から、パートナーから、コミュニティーから、
 
そう判断された時、<つまり、断捨離の対象とされてしまった時!?>、どうやって、これからの自分と人間関係と人生を再構築していくか。
 
結局のところ、それが肝心なんだと。
 
 
なぜなら、こんなことは、人生でたくさん経験することだろうし、また、経験させられることなのだから。
 
 
いずれにしろ、ひでこさん、あなたは、
 
しがみついた自分も
しがみついた人間関係も
しがみついた人生も、
 
ごめんこうむりたいと意図意思していることは確かですね。
 
ああ、それが、できるか、できないかは、別として。
 
<2017/09/11>

 
 

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やましたひでこ

 

 

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