『大切なことは、すべて日常の中にある』
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
2019年 平成31年 正月三日 夜
私は、私自身が書いたこの言葉を今の自分におくろうと思う。
「大切なことは、すべて日常の中にある」
◇◇◇
〜さあ、自分の人生を取り戻しに行こうか〜
そうか、そういえば、この本を一緒に紡ぎ出すことになったおのころ心平さんとの出逢いも、日常の営みの延長線上でのクロスがあってのこと。
七年前、互いが毎日書き綴っていたブログ記事が縁となり、いつしか、一緒に活動を共にする仲間、生活哲学を同じにする盟友となっていったのだから。
ところで、この本の原稿を書き終えてすぐ、私は、中国山西省太原へと旅することになった。そして、ここ太原で紹介されたある男性企業家の案内で中国仏教の聖地五台山を訪れた。
当初、旅の予定にまったく入っていなかった太原に、山深い地にある仏教聖地の訪問までもが加わり、そのうえ、数ある五台山の寺院随一の名刹の将来を担う青年僧との縁までいただき、親しく会話する機会を得たのです。
この若き住職は、仏教についてこう語った。
仏教とは、「生と死」を扱うもの。けれど、なにより、「生」を扱わなくてはならない。
仏教とは、「生存」、「生活」、「進化」を担うもの。けれど、なにより、日常の生活に根ざしたものでなくてはならない。
仏教とは、各々が日常の生活を通して、個々の精神性を進化させていくためのものでなくてはならない。
私は驚いた。
私にとって、この中国の旅は非日常のそれ。思いもよらない異郷の地で、思いがけない出逢いを果たし、そこで心に深く落ちていった精悍な僧侶の言葉は、偶然にも、私がいつも思い考えている「日常の営み」の大切さを説くそれ。
私たちの日常は、ただ、振り返られことなく過ぎてゆくもの。私たちの日常は、ただ、やり過ごすためにあるもの。
もしも、そう思い、そう感じて、私たちが生きているとしたら、その日常の積み重ねである人生は、なんと色褪せたものなってしまうことだろう。
いいえ、もしかして、私たちは、そう思い、そう感じていることにさえも無自覚で、人生の色が日々褪せていくことに気づかずにいるのかもしれない。
私は思う。
日常にこそ、私たちが生きる喜びがいっぱい埋まっていると。
日々の営みにこそ、私たちの人生の面白味がたくさん隠れていると。
そう、たとえば、それは、
あなたの目の前で溢れる涙の奥に。
あなたのすぐ側で聞こえるほがらかな笑声の中に。
あなたの肌でじかに感じる柔らかなぬくもりの内に。
やましたひでこ 山西省五台山にて <2016年11月4日>
『大切なことは、すべて、日常の中にある』
人生は、もっと「ごきげん」にできる。
まえがき
やましたひでこ
おのころ心平/共著
かんき出版/刊
◇◇◇
大切なことはすべて日常のなかにある
Amazon |