「美しいものを中心に置く」
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
明けゆく頃に。
ようこそ断捨離へ
ようこそ空海の宇宙観へ
やましたひでこ
空海と断捨離
「美しいものを中心に置く」
見るもの、聞くもの、触れるものが、
自分をつくっていきます。
あなたが心を奪われるもの、
美しいと思うものを生活の中心に置きましょう。
散らかしっぱなしの乱雑な暮らしが、
あなた自身をだらしない人間にするだけ。
今すぐ片づけて掃除をしましょう。
———『性霊集』 <松永修岳 心訳・空海の言葉>
今、私の目の前にある日めくりカレンダーに、こんな言葉が綴られている。
これは、「現代人を救う空海からのアドバイス」として、空海密教の大行満大阿闍梨でもある松永修岳氏が、わかりやすく空海の教えを示してくれたもの。
空海の原著「性霊集」など、とても読み込むことなど出来ない私が、この言葉に出逢った時の心浮きたつ気持ちをどうやって表現しようか。
まさに、この内容は、私が日常生活の中で、ずっとずっと追い求めていたこと。そう、断捨離を通して。
断捨離とは、私やましたひでこが、執着を手放していく行法哲学、「断行」「捨行」「離行」を、オリジナルな自己探訪メソッドとして日常の片づけに落とし込んだもの。
私は、この「断行」「捨行」「離行」に、学生時代に、幸いな運をもって沖ヨガ修道場で出逢っている。
けれど、当時、22歳の未だ人生が定まらない不安定な若い私が、「執着」を云々されても戸惑うばかり。なぜなら、あれもこれもとモノを欲しがる物欲の塊、なんでもかんでも知りたがる好奇心の塊、そんな塊の自分を持て余しながらも、物欲も好奇心も捨てる気はさらさらなかったから。
私は、「断行」「捨行」「離行」を聞かなかったことにした。知らぬふりを通すことに決めた。執着を捨てるなんて土台無理な話だ。いったい、執着を捨ててどんな意味がある。執着が無いなんて、そんな無味乾燥な世界をこの人生で過ごしたくない。なにより、私は美味しいものをお腹いっぱい食べたいのだ。断行? 特に断食なんてご免こうむる、そう思って自分を納得させることにした。
けれど、私の過剰な執着心が、私の余計な執着心が、私自身を損なうことも、どこか心の奥底で気がついていたのだろう。表面上の意識では知らぬふりを決め込んだものの、それは、完全に捨てることなく、心という「押入れ」の奥に突っ込むという行為で封じ込めたのです。
さて、この私の幼稚な「封印」が解ける時がやって来る。
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