それにしても、高野山とは不思議なところだ。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

それにしても、高野山とは不思議なところだ。

ごきげんさまです。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

 

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出逢いとは、偶然なのか、必然なのか。
 

 

 



◇◇◇

 

 

 それにしても、高野山とは不思議なところだ。

 

 

急な坂をゆっくりと登るローカルな鉄道、終点からは、さらにケーブルカー、そしてバス。こんな山深いところ…と、心細くなりかけた頃、急に視界が明るくなって扉が開かれる。

 

 険しい山の頂上は平坦な拓けた台地。その台地を取り囲むように内八葉、外八葉と呼ばれる十六の峰々。

 

そう、高野山そのものが、如来、菩薩の台座のごとく、蓮の花が開いた蓮華座の形。なるほど、この地を真言密教の修行の場としたのは空海の眼力かと頷いてしまうのも当然のこと。

 

 そして、私は、この時、初めて、空海とヨガの関係を知った。

 

 空海の『即身成仏義』には、「六大無碍して常に瑜伽なり…」とある。

 

 六大無碍にして、

 常に瑜伽なり

 

 四種曼荼

 各々離れず

 

 三密加持すれば

 速疾に顕わる

 

 重重帝綱なるを

 即身と名づく

 

  

六大    宇宙を構成する要素 「地「水「火「風「空「識

瑜伽    溶け合う 一体化

三密    意密 口密 身密 すなわち、想念・言葉・行為 創造の三原理。

 

 合宿セミナーで無量光院のご住職・土生川正道大僧正の講義を頂戴しながら、私の頭の中には、今まで、ヨガを通して知ることとなった言葉たちと空海の言葉が絡みあうようにして浮かんで生きたのです。

 

 瑜伽とはヨガに通ずる。ヨガとはサンスクリット語で「結ぶ」。聖なるものと自分を結ぶ行法。

 

 梵我一如。梵、ブラフマン、私たちを生かしている一切の力、聖なる力。我、アートマン、我、私たち。つまり、梵我一如とは聖なるものとの一体化。

 

真言密教、瑜伽、ヨガとは、聖なるものとの融合。そのための思考のあり方、そのための行法、つまりは、三密加持によって、我が身のまま、宇宙の根源仏大日如来と一体化する。だからこその即身成仏…

 

 とは言え、私にしてみれば、言葉が繋がっただけのこと。それでも、この腑に落ちた思考の爽快感は同時に身体でも味わうことができた。私なりの心身一如の体感といってもいいのかもしれない。

 

 『心を洗う断捨離と空海』より

 


 

 

 

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11月11日<日曜日>

 

『断捨離と空海セミナー』 in 高野山

   

エントリーはここら。
https://naturalhealing-school.org/archives/11793

 

会場、高野山大学 松下講堂黎明館

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