誰だって、荷物が多ければ多いほど動きたくはなくなる。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

誰だって、荷物が多ければ多いほど動きたくはなくなる。

ごきげんさまです。

断捨離のやましたひでこです。
 
 

 
NHK防災アプリを見る。
 
<シアトル現地時間29日午前2時24分>
 
 
 
早めの避難が難しいのは、それ以上に、
 
早めの避難の決断が難しいから。
 
 
素早い避難の決断を困難にしているのは、
 
沢山のモノを抱えているから。
 
 
誰だって、荷物が多ければ多いほど、
 
動きたくはなくなる。
 
 
 
 
yahoo!ニュース記事<2018/07/14> 以下、全文。
 
 
 

西日本豪雨、犠牲になった命の数々、いまもって安否不明の人々、そのあまりの多さに驚くばかり。

 

 被災とは無縁の地域にいる私が、犠牲となられた方々の冥福を祈る言葉をここで綴ったとしても、それは虚ろに響くだけだろうし、また、被災された方々へのお見舞いの言葉を並べたとしても、それは虚しく映るだけだろう。そう、こんな私の言葉がどれほどの助けになるのだろうかと考え込んでしまう。

 

 ところで、豪雨が続く最中、愛媛県に出張を控えていた私は、確保していた航空便で松山に飛んだ。その日は、前日までの酷い雨が一転して青空、今度は容赦ない暑さが被災地を襲う。

 

 私は、松山空港から乗ったタクシーの運転者さんとひとしきり話し込むこととなった。幸い、その運転者さんの住む地域は安全だったけれど、雨の凄まじさは半端なものではなかったとのこと。

 

 どうだろう、もしも、その中で避難勧告、避難命令が出たとしたら、私たちはどんな行動をとるだろう。

 

 雨、それも酷い雨。家の中でじっとしていれば、少なくとも雨に濡れることはない。まして、それが夜ともなれば、真っ暗な外に出て、ずぶ濡れになりながら避難所に歩いて行くという選択をするだろうかと、私は運転者さんに尋ねながら自分にも尋ねていたかのよう。

 

 私の答えは、たぶん、おそらく、いえ、間違いなく、「否」。ずぶ濡れになることの方を恐れ、避難を躊躇し、濡れずに済む家の中にとどまることを選んでしまうだろう。まさか、家の天井まで水が流れ込んでくるなんて思いもしないだろうし、家が流されることなど、まったく想像もしないだろうから。

 

 気象関係者も行政も、住民に「早めの避難」を呼びかけているけれど、早めの避難を決断することは容易なことではないと思う。

 

 要するに、避難が大変であるからこそ、それを早めに「決断する」ことがとても難しいのです。

 

 さて、その晩は、宿舎となった旅館でテレビの災害報道をじっと見続けることに。ローカル版のニュースは、さすがに、遠く離れた東京で見るそれとは違い、被害の様子が詳細に映し出されている。

 

 その中のひとつ、地元の視聴者が自身の避難の様子を動画で提供したものがあった。

 

 玄関のドアからひたひたと流れ込んでくる水。その水嵩が急に増して床まで届いた時、男性が高齢の父親に向かって叫ぶ。

 

「もうダメだ!ここから避難しないと!」

 

 「逃げるぞ!」と繰り返し叫ぶ息子に、その高齢の父親の反応はこうだった。「この電化製品、二階に上げる」と。

 

 自分の生命の危険が差し迫っている時でさえ、モノを守る方を優先するのか。私はこの場面に唖然とはしたけれど、そもそも、そんな危険を察知できない状態にこの高齢の父親があったのかもしれない。

 

 それでもやはり、私は思う。人とは、どこまでもモノに囚われるものなのかと。

 

 けれど、翻って我が身も、そんな偉そうなことが言えるのかどうか、怪しいもの。きっと慌てふためいて、しょうもないモノを掴んで逃げ出すか、どうでもいいモノにしがみついて呆然と立ち尽くすか、どちらか。

 

 日常でも、大量のモノを抱え込んで決断を先送りしているならば、非常時に、迅速に決断ができるはずもなく、まして、日常で夥しいモノにまみれているならば、非常時に最優先すべきは何なのか、判断するのは難しい。

 

 迅速な避難をどれだけ呼びかけたとしても、これも各々に虚ろに虚しく届くだけならば、無念な悲劇が減ることはないのかもしれない。

 

<やましたひでこ>