断捨離と空海三つの言葉 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

断捨離と空海三つの言葉

ごきげんさまです。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

 

 


台風21号が私の地元北陸石川に向けて爆進中だと言うのに。

 

 
旅烏やましたひでこは、ここ、福岡空港で、名物とんこつラーメンなどを食べているという長閑さ。
 
 
はい、博多での講演を終えて、ほっと、ひと息。
 
これから、那覇へ。
 
フライト待ち、時間はたっぷり、遅めの昼食? 早めの夕食? 滅多に口にすることのないラーメンを。
 
 台風の進路にあたる地方の方々、くれぐれもお気をつけて。
 
 
 
 
 
 
 

 
西日本政経懇話会
 
出欠の確認はハガキなんですね。
 
 
いつもは、女性陣でいっぱいだけど、今日の聴衆の皆さま、ほとんどが男性。
 
年齢は60代が中心、経営者、あるいは、会社役員と言った方々。
 
 
こういった人々に断捨離をお伝えする機会は貴重。
 
なぜなら、断捨離を必要としているのは、もしかして、女性以上かも知れないと、やましたは思っているから。
 
そう、自分を解放していくのは、男女も、性別も、職業も、地位も、問わずですよね。
 
でも、どのお宅にも棲息しているであろう「忘却グッズ」を「知らないおじさん」と称することは控えましたが。
 
 
ところで、今日は、こんなリクエストが主催者サイドから。
 
著書「心を洗う断捨離と空海」に関連して空海にも言及していただきたいと。
 
博多には空海が建立したと伝わる「東長寺」があり、黒田家<福岡藩、すなわち筑前藩の藩主>の菩提寺としても知られているため。
 
 
なので、僭越ながら、空海の三つの言葉を、やましたなりの解釈で語らせていただいて。
 
それを、このブログでシェアさせていただきますね。
 

 

空海の三つの名言 永田良一選、やましたひでこ記述  

 

 

 

◆知らず自心の天・獄たることを、あに悟らんや唯心の災禍を除くことを。

 

 

 私の心の外には幸福も不幸もありはしない。

 

けれど、私の心の中には幸福を感じる力と不幸を感じる力、その両方が間違いなくある。

 

そう、まるで天国いるような気持ちを味わうのも刹那、同時に、地獄のどん底に突き落とされたかのような気持ちとなるのも刹那。

 

この二つの刹那はどちらも、その時その場の自分の心が唯一となって作り出されている。

 

でも、だからと言って、全てを、「心の持ちよう」として結論づけてしまう行為は、あまりに短絡的な視点と思考でしかなく、また、稚拙なそれと言わざるを得ないでしょう。

 

幸福感の源も、不幸感の源も、どちらも自分の心の中にあるとするならば、それを振り返る力と、この二つのエネルギー、どちらも、より発展的に自分の人生の構築に機能させていくかが鍵であり勝負どころなんですね。

 

 

 

物の荒廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り

 

 

 私の目の前のモノは私自身が選んだモノたち。

 

私が今まさに取り組んでいる事は私自身が選んだのに他ならない事たち。

 

私がずっと縁を繋いでいる人は私自身が選んだのであるのは間違いない人たち。

 

だから、もしも、それら、「モノ・事・人」との関係がとても残念な有様や情況に陥っているとするならば、それは、自分自身の選択と決断の結果が、ごく当たり前に自分に展開していると素直に認めなくてはならないですね。

 

だとしたら、今、何をどう選んでいるのか、だとしたら、これからに向かって、何をどう決めるかが、私自身の成長への道と堕落のへの道、その分岐点、その別れ道となるのですね。

 

 

 

身は華と与に落ちぬれども、心は香と将に飛ぶ

 

 

私は、この肉体に宿って生まれてきたけれど。

 

私は、今まで、たくさんのモノを得てきたけれど。

私は、これまで、たくさんの事を身につけてきたけれど。

私は、ずっと、たくさんの人と関わってきたけれど。

 

やがては、必ず、すべてを、ここに置いていかなくてならないのです。

 

終焉の時は、どこまで潔く果敢でありたいと思う。

 

穏やかで安らかにと思わなくもないけれど、やはり、私は、この最後の大仕事である肉体の断捨離も果敢に挑戦したいと希う。なぜなら、私は大いなる智慧の宇宙への帰還の旅に出るのだから。

 

 

お招き有難うございます。

 

そして、熱心なご聴講、有難うございます。

 

やましたひでこ

 

 

 

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