断捨離と空海三つの言葉
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
台風21号が私の地元北陸石川に向けて爆進中だと言うのに。
空海の三つの名言 永田良一選、やましたひでこ記述
◆知らず自心の天・獄たることを、あに悟らんや唯心の災禍を除くことを。
私の心の外には幸福も不幸もありはしない。
けれど、私の心の中には幸福を感じる力と不幸を感じる力、その両方が間違いなくある。
そう、まるで天国いるような気持ちを味わうのも刹那、同時に、地獄のどん底に突き落とされたかのような気持ちとなるのも刹那。
この二つの刹那はどちらも、その時その場の自分の心が唯一となって作り出されている。
でも、だからと言って、全てを、「心の持ちよう」として結論づけてしまう行為は、あまりに短絡的な視点と思考でしかなく、また、稚拙なそれと言わざるを得ないでしょう。
幸福感の源も、不幸感の源も、どちらも自分の心の中にあるとするならば、それを振り返る力と、この二つのエネルギー、どちらも、より発展的に自分の人生の構築に機能させていくかが鍵であり勝負どころなんですね。
物の荒廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り
私の目の前のモノは私自身が選んだモノたち。
私が今まさに取り組んでいる事は私自身が選んだのに他ならない事たち。
私がずっと縁を繋いでいる人は私自身が選んだのであるのは間違いない人たち。
だから、もしも、それら、「モノ・事・人」との関係がとても残念な有様や情況に陥っているとするならば、それは、自分自身の選択と決断の結果が、ごく当たり前に自分に展開していると素直に認めなくてはならないですね。
だとしたら、今、何をどう選んでいるのか、だとしたら、これからに向かって、何をどう決めるかが、私自身の成長への道と堕落のへの道、その分岐点、その別れ道となるのですね。
身は華と与に落ちぬれども、心は香と将に飛ぶ
私は、この肉体に宿って生まれてきたけれど。
私は、今まで、たくさんのモノを得てきたけれど。
私は、これまで、たくさんの事を身につけてきたけれど。
私は、ずっと、たくさんの人と関わってきたけれど。
やがては、必ず、すべてを、ここに置いていかなくてならないのです。
終焉の時は、どこまで潔く果敢でありたいと思う。
穏やかで安らかにと思わなくもないけれど、やはり、私は、この最後の大仕事である肉体の断捨離も果敢に挑戦したいと希う。なぜなら、私は大いなる智慧の宇宙への帰還の旅に出るのだから。
お招き有難うございます。
そして、熱心なご聴講、有難うございます。
やましたひでこ
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