震災、モノが選び抜かれ絞り込まれた断捨離空間であるならば。
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
台所
食事時、もしも、これだけのモノたちが落下散乱したとしたら…
◆7月7日(土)よる7:00~
「ウチ、断捨離しました!」(BS朝日)
http://www.bs-asahi.co.jp/
毎回放送後、大反響を頂いている 「ウチ、断捨離しました!」。
やましたひでこのアドバイスのもと、片づけに悩む家族が断捨離に挑む様子を追ったドキュメンタリー!
◆2018年7月1日(日)よる9:00~ 前回放送分
命の犠牲が出た地震災害。そして、命が犠牲、とならずとも、激しい揺れよる家具の転倒、モノの落下で負傷された人々は数知れない。
無念さと残念さだけが募る。
そんな中、私の周囲のダンシャリアンたちから、震災ともなれば毎度のことながら、こんな報告が数多く寄せられる。
断捨離に取り組んでいたおかげで被害を小さくすることができた、と。
ちょうど地震前に家具の断捨離を済ませていて助かったという女性。彼女は長年溜め込んでいた洋服を思い切って捨てたところで、結果、その無用な服たちが詰まっていた洋服タンスも不要となり、このタンスにどうやって始末をつけようかと考えあぐねていたらしい。
たしかに古びて出番のなくなった洋服たちであるならば、一旦、断捨離を決意した後の処分法は容易。自治体のゴミ処理ルールにしたがって家の外へ出すことができる。ところが、それが家具となると、大きい重たいという物理的な事実に、大変で面倒という思いが加わって、行動はなかなか躊躇するもの。
実際、この女性も、粗大ゴミと化した寝室を占拠していた洋服ダンスを断捨離することは先送りしていた訳で、それにようやく踏ん切りをつけた後の地震。
もしも、あの洋服ダンスがそのままだったら。
もしも、あれが寝ている時だったら。
想像するだけでも身体の震えが蘇ってくる。そして、実際にあの激しい揺れを体験したからこそ、断捨離の意味と意義にあらためて大きく頷けるというもの。
そう、断捨離が目指す空間のクリエイトとは、健康と安全、安心と元気、爽快感と解放感を、自分に提供すること。
なかでも、安全な空間づくりはその第一等。ビルや家屋、構造物の耐震化が進んだとしても、住まいの中の有様にまで安全意識が及んでいる訳ではない。
無用となったモノを留め置き、余計なモノたちを溜め込み、おまけに、それらを保管する収納家具までを無自覚に増やす私たち。結果、室内は、モノの落下という危険、家具の転倒という危険まで増やすことになる。
もちろん、それら増殖した家具たちで、日常の生活空間を、物理的にも心理的にも圧迫していることにさえ気がついてはいない。
だから私は、こんな光景を見るたびに暗澹たる気持ちとなる。
背の高い家具と天井との隙間に積み上げられた、モノが詰まった箱たち。それら、ホコリがうっすらとかぶった箱の中身は、とっくに無用となった、用をなさないモノであるに違いなく。
だとしたら、直ちにそれらを断捨離して、落下の危険の大元を取り除くこと。
あるいは、その隙間に倒防止装置が施されている場合がある。こんなケースは、居住者が家具の転倒を意識しているからこそのこと。それでも、その家具に収まっているモノたちのほとんどが、ただ漫然と突っ込まれた無用の長物であるならば、その家具さえも無用であり、転倒の危険を意識することも無用なエネルギーの浪費であるのです。
ならば、直ちにその家具を断捨離して、転倒の危険の元凶も無くすこと。
災害という非日常時、室内にある無用なモノたちは、大なり小なり、凶器に変貌する。
普段という日常時、室内にある余計なモノたちは、多かれ少なかれ、生活空間と生活時間を圧迫している。
この二つの事実をもっともっと意識することは、災害弱者に限らず、誰にとっても急務であることを知るべき。そう、自分たちの命を第一に優先尊重するならば。
さて、最後にこれも付け加えておこうか。
モノが選び抜かれ、絞り込まれている断捨離空間であるならば、災害からの回復もより容易に。なぜなら、床に散乱するモノも少ないし、それら散乱物は必要なモノであるからこそ、始末する体力も気力も自ずと湧いてくるのだから。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamashitahideko/