あれから6年、夏至の日に。
そういえば、6年前の夏至の日。
そうだ、あの時も、こうやって新千歳空港で東京行きのフライト待ちをしていたっけ。
夏至とは、私にとっては魂の断捨離の日。
その理由はね、私だけのとっておきの秘密だけど。
◇◇◇
ダンシャリアンの皆様、ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
この日は札幌から東京へ移動。
到来が予測された颱風を避けて、予約便より早めのフライトとなる。
窓の外には、厚い雲が広がる。
その雲間から顔を出す太陽は、いつもと違う光を放つ。
断捨離のやましたひでこです。
この日は札幌から東京へ移動。
到来が予測された颱風を避けて、予約便より早めのフライトとなる。
窓の外には、厚い雲が広がる。
その雲間から顔を出す太陽は、いつもと違う光を放つ。
旅が終わり、こうして反芻するたびにいつも思う。
ほんの少し前のことなのに、ずっとずっと昔の出来事だったかのよう。
それどころか、実際に体験したのかしらと、思うことすらある。
すべては、ただただ、通り過ぎていっただけのことなのかしらと。
でも、違う。
見聞きして知ったこと、知らされたこと。
学んだこと、学ばされたこと。
体験したこと、体験させられたこと。
それは、必ず、記録となって、身体のどこかに刻まれたに違いない。
そして、東京に戻れば、いつものように、取材や打合せの仕事が続く日常へのシフト。
でも、旅という非日常であれ、普段の繰り返しの日常であれ、すべては自分の中に蓄積していくはず。
そう、頭と心と身体に、さまざま記録されていくはず。
だからね、時にはその記録の層を点検してみようか。
その記録の蓄積は、私を縛る檻となっていないか、
それとも、私に自由を促す宝物として存在しているのかを。
そして、それを試みた夏至の日。
錆びた檻と化した記録の蓄積をほじくり出しては手放して、新たな空間を、私の頭と心と身体に創りだす。
ああ、素敵だな。
なんだか、私の自由度のステップが上がったよう。
これをね、「魂の断捨離」と言うのかしらと、
ひとりほくそ笑む、私がいましたね。
2012/06/22 <夏至の日に>